このところ相次いで、医療安全に関するネガティブなニュースが続いてきた。群馬大学病院、千葉県がんセンターの腹腔鏡手術の死亡事例に続いて、神戸国際フロンティアメディカルセンター(KIFMEC)の生体肝移植で半数以上の患者死亡が報道された。


 メディアの関心は、腹腔鏡手術に主に向いた感があるが、将来を考える中で、特に医療制度との関連でいえば、KIFMECの蹉跌はもう少し重要視するか、あるいは別の角度から見る必要が生まれている。生体肝移植に関しては、日本肝移植研究会が、事前準備の不足、スタッフ数の少なさなど、技術的環境の整備などに関してKIFMECへの改善点を異例の厳しさで表明している。


 KIFMECの院長、田中紘一氏は生体肝移植の第一人者で、国内の関連学界の重鎮と言ってもいいが、専門家集団の厳しい指摘は、若干だが、KIFMEC自体の存立問題から目を奪う効果を持っているのではないかとも思える。むろん、その指摘は現状では勘ぐりに近いことは認めるが、やはり、KIFMECの存立が推進されてきた背景にも、関心が向けられるべきであろう。


 KIFMECは、神戸医療産業都市の高度先端医療中核地域を代表する病院。14年11月にオープンしたが、直後の12月から15年3月までの短期間で、早くもこうした問題が報じられた。医療技術や、医療倫理の問題はひとまずおいてみると、先端医療技術の集積地、つまりそれ自体が国内では先端をいく「地域」であることにここでは注目する。


●早くから地元が懸念していたKIFMEC


 神戸医療産業都市は、95年の阪神淡路大震災の後、神戸市の産業復興のひとつとして、構想、推進されてきた。あらためて語る必要のないほど、医療関係者、医療関連産業関係者には周知の事実だ。震災後、兵庫県や神戸市が掲げた「創造的復興」のひとつで、医療産業都市と神戸国際空港の開港がその具体化である。


 医療産業都市の構想は、21世紀に入って、02年の小泉政権から始まった「特区」の政策化に沿って、順調に歩みを進め、集積地には神戸市立医療センター中央市民病院、先端医療センター、KIFMECがすでに開業しており、今後には県立こども病院の移転、小児がんを対象にした専門粒子線治療施設の設置が予定、計画されるなど、医療施設だけで2000床を越える規模となる。また理化学研究所を中心に、医療、バイオの研究施設群も次々に開設されている。


 この連載シリーズのスタート時にSTAP細胞問題で「揺れる神戸」を題材にしたし、このテーマは重複する印象を与えるかもしれないが、KIFMECの問題はSTAP細胞問題よりも、より医療産業都市の「特区」としての印象を濃くするテーマであり、もう一度振り返ってみたというわけだ。


 KIFMECはその構想が表に出てきた段階から、地元医師会の強い反発があった。将来、「復興」「産業化」「特区」とステップしてきた象徴として、KIFMECは語られるかもしれない。当初から、KIFMECはその設置費用の一部が、アラブマネーから出されるという話が出ていた。実際に、田中氏が何度かアラブ首長国連邦のアブダビを訪問したり、一時期は地元医師会関係者がアブダビの王族から100億ドルの拠出を申し出られたことを明らかにしたこともあり、オイルマネーとの強い絆が噂になったこともあった。地元有力者は、メディアのインタビューで直接語った経緯もあるようで、信憑性は高いとみられていた。噂がいつの間にか萎んだのは、リーマンショックの後である。


 もちろん、KIFMECの主たる医療行為は肝移植である。アラブ系民族は肝臓疾患を患う人が多く、オイルマネーの富裕層には、肝臓専門の医療専門家へのニーズは非常に大きいといわれる。今回、開院以降、肝移植術を受けた患者は7人とされるが(死亡例報告が報道された後も1例ある)、そのうち2人が外国人だったとも報道がある。


 ある意味、医療ツーリズムそのものであり、特区の本来の目的が具体化していたとみることができる。その意味では、特区はすでに動き出していることの証拠であり、KIFMECの蹉跌がなければ、医療ツーリズムが神戸で常態化する状況の手前だったとも言えるのである。


 ただ、付け加えておけば、KIFMECは当初計画どおりに順調に開院まで至ったわけではないと、地元関係者は言う。当初の200床規模は、120床程度に減ったが、スタッフ不足も加わって、肝移植例数も予定通りに運んではいない。収益性に関しては未知の状況が続いていた。医療ツーリズムが本当に「イノベーションによって、日本の新たな経済活性効果をもたらす」理想からは程遠い状態にあるということはいえる。


●失敗したら元には戻れない実験場


 02年以降の小泉政権から、歴代の内閣でスタンプしたように政策として受け継がれてきた「特区」は、実はその目的自体は内閣によって変質してきた。一概に、全く同じ目的が存在したまま特区政策が伝承されてきたわけではない。しかし、KIFMECもその中にある神戸医療産業都市構想は、特区政策が策定されるたびに必ずその中に選択され続けてきた。いわば特区の象徴であり、逆に言えばそれゆえにそれぞれの特区政策が実は目的として異なった実相を持つものであることを、ぼかしてきた効果を持つ産業都市構想といえるのではないか。


 例えば、STAP細胞問題の舞台となった理研も、この神戸医療産業都市の推進エンジンのひとつである。こうした革新的生命科学技術の開発と実験的施設群の集積も同構想の重要な核をなし、STAP細胞ではミソをつけたものの、iPS細胞技術を応用した再生医療、加齢黄班変性症を標的にした臨床試験がスタートしようとしている。網膜再生技術が確立すれば、この集積地に「神戸アイセンター」が開設される。KIFMECもそうだが、このアイセンターもまだ実績を上げているとは程遠い。地元では、早くもこれらが失敗した場合、神戸はどうなるのか、震災以上のダメージを蒙るのではないかという不安も表面化しつつある。


●政権によって特区政策の意味は大きく違う


 神戸によって、その性格、目的が同一視されやすい時の内閣による「特区」政策だが、実はかなり色彩は違っている。それぞれの特区政策の流れについては前回紹介した。ここでは、その特区の特徴を簡単に示してみよう。


 02年末に成立した構造改革特区法は小泉政権が打ち出したものだが、実は規制緩和が目的で、税制優遇や財政補助などは行われていない。神戸が、政府の後押しを受けて、既存の医療制度規制の一部を緩和できるようになったのが、この特区制度の始まりだ。むろん、医療分野では神戸が指定された。いわゆる小泉特区は規制緩和が目的だから、神戸は「規制緩和」という政策の甘味料的な役割を担った。この政権は、郵政改革(規制緩和の本城)をスローガンにして総選挙に圧勝する一方で、診療報酬の大幅引き下げ、社会保障費の5年間1兆1000億円削減などの政策も実行した。


 小泉政権の後は第1次安倍政権、福田政権、麻生政権、そして民主党政権へと変遷するが、麻生政権時の08年に策定されたスーパー特区(革新的技術特区)は、先端医療開発特区を指定、そのまま神戸医療産業都市をなぞった。先端医療開発特区の内容を簡単にさらっておくと、①iPS細胞応用②再生医療③革新的医療機器の開発④革新的バイオ医薬品の開発⑤国民保険に重要な治療・診断に用いる医薬品・医療機器の開発——が並んでおり、すべて神戸集積地の計画をなぞったものだ。つまり、この時点で、神戸医療産業都市は完全に国家プロジェクトとして認知された。


 その後、民主党政権下での国際戦略総合特区では、医療分野で、つくば、京浜臨海部、関西の3地区が指定され、関西では、大阪彩都とともにむろん神戸が主役だ。


●明確に医療ツーリズムと混合診療を目的に


 特区の歴史的流れをみると、神戸をスタディにすれば、小泉特区が基本的に「規制緩和特区」としての基礎を作り、麻生特区で神戸をブランドとして確立させ、第2次安倍政権下で昨年策定された国家戦略特区(アベノミクス特区)で、その目的性を明確にしたことがわかる。国家戦略特区の医療分野に関する基本目的は以下のように語られている。 


Ⅰ 国内外の優れた医師を集め、世界トップクラスの国際医療拠点を作り、世界中の人がそこで治療を受けたいと思うような場所にする。


Ⅱ 特区内上記拠点で、外国人患者の受け入れを見込む医療機関について、高度の医療水準確保を条件として、下記規制改革を認める。

①  国際医療拠点における外国人医師の診察、外国看護師の業務解禁

②  病床規制の特例による病床の新設・増床の容認

③  保険外併用療養の拡充


Ⅲ 医学部の新設に関する検討 


 現政権が特区を指定する中で、こうした具体策を明記すること自体、その先には現行医療制度への大きな変革が意図されていることがわかる。どこを読んでも、明確な医療ツーリズム推進の経済的効果への期待や、混合診療解禁、そのための自由診療病床の野放図な解禁が示唆されている。


 その意味で、アベノミクス特区は、これまでの特区政策のすべてを土台として「仕上げにかかる」状況のような印象が強く、それはそのまま「特区=実験」の色彩が薄れ、広域化を経て全国に波及することになれば、国民生活にどのような影響が起きても、日本医師会が心配するように「不可逆的なダメージ」となる。


 そもそも、民主党政権時代の「総合特区」を受け継ぐような政策の衣をつけてはいるが、特区政策自体の「目的」が表現は微妙に、そして意図することは大胆な変貌を隠してはいない。「総合特区」の目的では、「国民生活の向上及び国民経済の発展」と謳われていたが、アベノミクス特区は「国民経済の発展および国民生活の向上」と、経済優先の意思が明確化されている。また、「民間投資の喚起」、「日本経済の停滞から再生へ」、「国際競争力の強化」、「ビジネスのしやすい環境作り」などの文言も目に付く。


 これは特区政策が、意図的なTPP交渉との兼ね合いであることを示していると考えられる。つまり、国家戦略特区は、TPPの露払いとして、TPP後の経済社会の実験場整備とすれば考えやすいのである。


 しかし、そこで起きた昨年のSTAP細胞問題、今年のKIFMECの手術失敗事例報告は、多少、こうした動きに水を差すかもしれない。


 国家戦略特区が歴代の特区政策の仕上げと、TPPへの準備作業であることを確認できると、国家戦略特区は経済主導の社会保障政策の流れに弾みをつけるという理解に辿り着く。しかし、やはり、医療を軸に、「国民生活の向上」も重点をおいた論議に戻る必然に現在は置かれているという認識も必要に思える。


 さて、神戸医療産業都市は、阪神淡路大震災後の「創造的復興」のひとつとして構想されたことは前述した。東日本大震災でも創造的復興としてひとつのプロジェクトが進んでいる。東北メディカル・メガバンク構想だ。次回はこれについて、紹介したい。(幸)