サンデー毎日の年末年始合併号に、ノンフィクションライター・石戸諭氏が『爆笑問題太田光の炎上騒動が突き付けたもの』という記事を書いている。その内容にはしかし、首を傾げたくなった。太田氏の炎上騒動とは、彼が司会をする番組『サンデージャポン』で昨年、旧統一教会問題を扱う際、この問題のきっかけが「テロだったことをマスコミは自覚しなくてはならない」「(山上徹也容疑者は)凡庸でつまらない殺人者にすぎない」「(この件で彼に)成功体験を与えると、ほかにも刺激を受ける人々が出てくる」というような発言を繰り返し、「統一教会を擁護するのか」と批判を浴びたことだ。


 山上容疑者に関しては、彼を英雄視したり減刑嘆願運動をしたりする人までいるらしく、もちろんこうした現象は異様だし、彼は淡々と裁かれる必要がある。だが、テロにより暴かれた不正義は、その追及に抑制的であるべきだ(再三の太田氏の発言は、結果としてそういうメッセージになっている)という考えがあるとすれば、これもおかしな話である。仮に、テロをきっかけに知られざる殺人事件が発覚したとしても、殺人は殺人、発覚の経緯と量刑は無関係だろう。テロはテロ、そこで暴かれた不正義は不正義、それぞれ別個に判断されるべきものだ。


 私自身、太田氏の発言は実際に何度か視聴したが、結局のところポイントは「テロ殺人」および「洗脳」の捉え方にある。どんな殺人事件でも現実には、動機や背景は情状酌量に影響する。政治性を帯びるテロ殺人は「絶対悪」だから、その斟酌をすべきでない、という話にはならない。しかも今回の論点は、容疑者の量刑でなく、事件に付随して流布した情報の扱い方である。これはもう「情報の中身次第」としか言いようがない。


 もうひとつの「洗脳」だが、太田氏はどんな宗教を信じようが本人の意思を尊重すべし、とあたかも信者が自由意思で信仰を選び取ったかのような前提で発言をしている。意図的に他者の思考を捻じ曲げる「洗脳」というカルト宗教の心理操作技術の恐ろしさを理解しないのだ。「自主的判断をできなくされた人」の自主的判断を尊重する、という主張はあまりにもナンセンスだ。


 何よりこの記事で嫌な気持ちになったのは、筆者の石戸氏が「私自身が期せずして(略)炎上騒動に巻き込まれてしまった」と書いていることだ。何の話かというと、昨年の事件直後、参院選関連のネット番組に中継で福島瑞穂・社民党代表が出演、「あらゆる暴力に反対する」と前置きしたうえで「自民党の政策にいかに統一教会が影響力を持ってきたかはきちんと解明されなければならない」と述べたことに、番組出演者の東浩紀氏や三浦瑠麗氏が中継終了後、「自民党が統一教会と関係しているから、このようなテロを招いたと言っている」「問題発言だ」と、福島氏が「自業自得的な発言」をしたかのように曲解し、口を極めてこれを批判、石戸氏も「だから社民党は小さくなるんだ」と尻馬に乗ったことだ。


 おそらく、警察の公式発表で「統一教会」の名がまだ明かされてなく(報道機関はすでに供述の裏を取り、教団名は「周知の情報」になっていたのだが)、安倍元首相を狙った理由に関しても「思い込み」という錯誤のニュアンスを込めた表現が使われていたことから、福島代表の発言を「時期尚早」「勇み足」と言いたかったのだろう。だが、結果として福島氏の発言は極めて妥当なものだった。


 にもかかわらず彼ら出演者は、福島氏を不当に非難したことへの謝罪をその後もしていない。仮に番組放送時の「公開情報」が不足していたと主張するにせよ、「現時点でそこまで言えますか」と疑問を呈するのが精いっぱいだったろう。むしろ現在では、当時の警察発表の「動機をぼかそうとした恣意性」が問題視されていて、彼ら3人はこれに加担する役割を担ったのだ。


 信教の自由云々の話とは関係なく、あの件は石戸氏がシンプルに「福島氏への自分の発言は妥当性を欠いた」と謝罪すべき案件であり、太田氏の話とごちゃ混ぜに正当化するのは見苦しい。本欄では以前、彼の仕事を評価したこともあるのだが、こういうごまかしには失望を禁じ得ない。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。