今週は月曜発売の現代とポストに山口組の分裂騒動が、木曜発売の文春と新潮に、神戸連続児童殺害事件犯「容疑者A」からの手紙の話が載り、それぞれが目を引いた。
私自身は“ヤクザ者”を取材したことはあっても、本格的な暴力団取材をした経験がない。なので、こういったニュースが発生した際に、取材者としてどう報じたらいいのか、そのノウハウは皆目わからない。
全国紙やテレビは「サツ回り」の「四課担」(暴力団を担当する刑事部捜査四課を受け持つ記者)のカバー領域だが、彼らはメインの取材対象とする警察官以外に、果たして暴力団の取材ルートをどれだけ持っているのだろう。そこには、会社や記者ごとに相当なバラつきがあるような気がする。
四課に限らず、警察は基本的に記者と事件関係者の直接の接触を嫌う。もちろん、捜査の妨げになる、というのが表向きの理由だが、自分たちの情報に依存させることで、報道の流れをコントロールできる、というメリットを手放したくないのだろう。
記者クラブの壁に阻まれ、捜査情報を得られない週刊誌やフリー記者は関係者に直接話を聞くしかない。だが、そういった情報源も組織中枢の大物から何の情報もない末端組員までさまざまいて、得られる情報はピンキリのはずだ。
そうしたなか、ポストは鈴木智彦氏、現代はベテランの溝口敦氏とヤクザ取材では定評のある人物に記事を書かせている。天下の山口組の分裂劇という近年にない問題を描くそれぞれの筆致は慎重で、派手派手しい推測が見られない分、信憑性を感じさせる。
興味深いのは、ポスト記事が新聞各紙の「横並びぶり」を指摘する点で、《まるで判を押したように「衝突を危惧する」警察の見方が書かれている》という。要は警察にそう書かされてしまっているのである。そのうえで記事は、緊張を高めて衝突を煽り、消耗戦のなかで両派の壊滅をめざす、という警察の目論見を解説している。
「容疑者Aの手紙」は文春、ポストのほか、女性セブンや朝日新聞にも送られているという。この手紙でAは、猛バッシングを受けた自著『絶歌』出版の裏側で、一連のシナリオを描き、途中で逃げ出した幻冬舎の見城徹社長への恨みつらみを書き連ねている。
両誌はこの手紙を大々的に取り上げる一方、記事では一貫して「自らの残虐な犯行への反省が一向に見られないA」を糾弾する。Aの見城氏批判も、粘着型の異常人格を示す行動、と見なすだけで、見城氏の行動そのものは一切、問題視していない。
遺族感情等を考えればもちろん、そのスタンスが“正しい”のだろうが、そのAとタッグを組み『絶歌』を生み出した見城氏の行動もいかがなものか、という思いが、個人的には禁じ得ない。
結局のところ、両誌はAの文面を延々と引用し、その言い分をまるまる載せてしまっている。そのうえで「こんなに執着するAは異常だ」と書いたところで、読者の側は「舞台裏はそういうことだったんだ」と受け止めるはずだ。文字面の見城氏擁護と、記事全体の読後感は180度逆になってしまう。
もしかしたらこれは、あからさまにぶつかり合いたくない同業者の見城氏を、「自らの手を汚さずAの言葉によって叩く」、という両誌の高等戦術かもしれない。邪推かもしれないが、ふとそんな気がした。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。