5月末休刊というニュースを受け、久々にきちんと週刊朝日に目を通した。とくに気になったのは、昨年サンデー毎日から週朝に「引っ越し」たノンフィクション作家・下山進氏の連載『2050年のメディア』のことだ。2誌をまたぎ同じタイトルにしたこだわりからいって、今世紀半ばまで長尺の連載を目指していたと思われるが、今週の回にとくに言及はなく、さらなる「引っ越し」はあり得るのか、先行きはまだ決まっていないようだ。
と、ある意味そんな「野次馬根性」で改めて読んだのだが、その内容は同業者から見て抜群に興味深い。今回の主見出しは「実は一年前に届いていた『 収容所 から来た遺書』34年目の真実」。公開中の映画『ラーゲリから愛をこめて』の原作となった故・辺見じゅんさんの本の話だが、とにかくこれがショッキングだった。
89年刊行と些か古い作品だが、大宅壮一賞と講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した名作だ。あいにく私は未読だが、ぼんやりと内容は伝え聞いている。シベリア抑留中、収容所の仲間に慕われた主人公・山本幡男が死の間際に書いた家族宛ての遺書。ソ連兵による没収に備え、仲間たちは長文のその遺書を分担して暗記、祖国日本への帰国を果たしたあと、山本の妻を次々訪れて1人ずつ分担箇所を暗唱した。この感動的クライマックスが作品の肝なのだが、ここにきて意外な事実が発覚した。
山本の遺言は仲間たちが伝達する約1年前、肉筆の遺書そのものが仲介者から遺族に届けられていたというのである。つまり山本の妻子は、帰国者らの訪問を受けたとき、すでに遺書の内容を知っていたことになる。だとすると、感動的シーンの味わいはだいぶ変わる。辺見さんは、この「興ざめの真実」に目を瞑り、その部分を書かなかったのだ。
ノンフィクションを銘打つ作品は、当然のことながら「事実」をもって書かれなければならない。ただ作品を書く側からすると、このルールと「作品性」の兼ね合いは相当に難しい。もちろん、内容の捏造はご法度だ。これを犯せばもうフィクションの作品になる。努力して事実を突き止めても、未確認のことを「突き止めた」と言い張っても、どちらもアリ、としてしまったら、苦労して取材をする人間が馬鹿を見る。捏造の許容は、ノンフィクションというジャンルそのものの「自殺行為」にほかならない。
ただ、記録簿のように時系列で取材結果を綴っても、作品にはまずならない。私自身の「マイルール」では、取材プロセスについてだけは、時に作品内の前後関係を入れ替えさせてもらう。たとえば計10人に証言を聞き歩き、出来事を描くとき、最重要の証言は、たまたま取材の初っ端に出会った人物でも、その内容は終盤に書く。「最後に会った人が重要な証言をした」と言ったらウソになるが、「実は早い段階でこんな話を聞いていた。その後さまざまな取材を積み重ね、その情報が正しいと確信した」と明かす構成にすれば、セーフだと思っている。ひとりずつ会った順番に書いてしまったら(後になるほど核心に迫ってゆく偶然がない限り)、ストーリーは成立しなくなる。
では、今回の辺見さんの作品はどうか。ウソを書いたわけではない。ただ作品の骨格にかかわる重要な事実を完全に黙殺してしまったのだ。私の感覚では、残念だがアウトである。下山氏も「編集者をも騙したのか」という書き方をしているから、同意見なのだろう。では、どう書けばよかったのか。私なら現物の遺書が届いた段階で、ひとまず物語は完結する構成にする。そして約1年後の「後日談」として、仲間たちの暗唱の逸話を持ってくる。感動はだいぶ薄れてしまうのだが、それはもう致し方ない。「実はこの1年前」とあとになって現物の遺書の話を書くよりは、「がっかり感」はだいぶ少なくなるだろう。
と、このように下山氏の連載、改めて読むとやはり面白く、引き込まれる。週朝休刊後も何とか「再引っ越し先」を見つけ出してほしい。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。