高級官僚が医学部合格を目指す息子を合格させてもらうかわりに、私立大学研究ブランディング事業に便宜を図った――。


 2018年に明るみになった東京医大の不正入試をめぐる事件を、報道をもとにそう理解していた。『東京医大「不正入試」事件』はその全貌に迫る1冊だ。通常の収賄事件のように金銭が動いたわけではなく、子どもの大学合格と引き換えに便宜を図るという特殊な事案だったことに興味を抱いたことと、昨今加熱している医学部受験の背景が知りたいと手に取った。


 もっとも、サブタイトルに〈特捜検察に狙われた文科省幹部 父と息子の闘い〉とあるように、すぐに冒頭の理解が表層的なものだったことがよくわかった。


 東京地検特捜部のシナリオ捜査や言ってもいないことが書かれた検面調書にサインしてしまう大学幹部、役に立たない弁護士、会食の録音が流出……。下手なミステリーよりぞくぞくする展開に約400ページを一気読みしてしまった。


 裁判は1審判決が出たところで、関係した4人の被告全員が控訴している状況だ。これからどう進展していくのか、ニュースがどう報道していくのか、注目である。


■東京医大が行った2つの合格者「調整」


 事件をめぐる当事者たちの動き、深層は本書を読んでいただくとして、舞台となった医学部受験の実情もよく描かれている。


 とくに注目したのは、東京医大で行われていた入試における合格者操作。〈個別調整〉と〈属性調整〉の模様が克明に記されている。


〈個別調整〉とは卒業生などの縁故者からの依頼や寄付金が多いなど個別に「特別な配慮」をする必要がある受験生に対して行われるもの。理事長と学長、学務課長の3人がリストをもとに秘密裏に行っていた。いわゆる「裏口入学」的な操作である。昔から寄付金の多寡と合格率の関係は囁かれていたが、「やっぱりね」という印象だ。


 もっとも、理事長が公判で〈あまり点数の低い人を入学させると逆に学業に励まず、医師国家試験に合格しない可能性があるので、そうした人を入学させても意味がありません〉と語っているように、一定レベルを満たしていなければ合格はできない。


 ちなみに、東京医大の受験をめぐって息子は〈個別調整〉で10点の加算を受けている。本書を読む限りでは、大学側の忖度による加点が事件化に影響しているが、この加算がなくても息子は十分に合格水準に達していたという。一番の被害者は加算がなくても合格していたのに、裏口入学を疑われた息子だろう。


 それとは別に、女子や多浪生が一律に差別される〈属性調整〉の実態も明らかになった。他の医大・医学部への波及という部分ではこの問題のほうがより影響が大きかった。


 以前から、大手予備校関係者の間でも、〈私立大医学部は御三家以外、多くの大学がなんらかの形で疑わしかった。偏差値的に何の問題もない女子や多浪生が不合格になってしまう〉と囁かれていた。


 今回の事件では、〈浪人生活を送りながら懸命に医師を目指す「多浪生」と、出産などのライフイベントで医療現場を離れる機会が男子より多いとされる女子受験生は、2次試験の受験で最初から不利な立場〉にされていた。

 

 要は「若い男子歓迎」というわけだ。

 

 属性調整と同様の合格者操作は別の大学でも行われていた。順天堂大や北里大、昭和大ほか10大学で不正入試が発覚している。以降は多くの私大医学部で女性の合格率が上昇した。


 一方で、医学部受験には「採用試験」の側面もある。また、勤務医の世界では男性医師に大きな負担がかかっていることはよく知られている。医学部における受験生差別が明らかになった頃、女性医師からも「女性医師が増えすぎると医療現場が回らなくなる」と女性の合格者を一定の水準にとどめることを容認する意見が出た。


「はじめから男性○○人、女性△△人のように枠を設定して募集すればいい」など、男女別に募集人数を明示する声も上がっていたが、「医師の働き方改革」が叫ばれる昨今、まもなく医師の残業時間にも制限ができる(2024年4月以降、原則として年間960時間まで。それでもまだ多い)。


 いつまでも医師の異常な長時間労働を前提にした医療体制では持続可能性がない。受験は公正にして、女性医師が普通に働くことができる環境づくりをするのが、目指すべきところではないだろうか。(鎌)


<書籍データ>

東京医大「不正入試」事件

田中周紀著(講談社1980円)