今年1月、アルツハイマー型認知症の治療薬「レマネカブ」が米国で迅速承認された。日本国内でも年内の承認を目指している。久々の新薬登場に沸き立つが、現時点では病気の進行を3年ほど遅らせる効果が期待される状況で、完治とはならない。


 それでも、認知症の約7割を占めるとされるアルツハイマー型認知症の新薬登場は、現状からすれば非常に大きな進歩だが、認知症では発症してから10年程度をかけて病気が進行していく高齢者も多い。いずれ多くの家族は認知症の症状が出てきた患者と向き合うことになる。2025年には認知症の高齢者は約730万人に達すると推計されている。誰にとっても他人事ではない。


『ぼけの壁』は、認知症の家族を持つ、親族がどのように向き合っていけばいいかを綴った1冊だ。長く高齢者の精神医療に携わり、患者やその家族と接してきた著者だけに、中身は極めて実践的である。


 アルツハイマー型認知症や脳血管性認知症など認知症のタイプや、それぞれのかかるメカニズムについては本書を参照していただきたいが、知っておけば、家族が認知症を発症したとしても慌てずに、かつ間違わない対応ができるノウハウがふんだんに盛り込まれている。


 日ごろ認知症やその介護の情報に接していると、徘徊や暴力、失禁といった、つらい状況ばかりがクローズアップされておいる。自分や家族が認知症と診断されると絶望感を持つ人もいるかもしれない。しかし、認知症と診断されたことイコール〈「人生終わり」と絶望する必要は、まったくありません。認知症と診断されてからでも、普通の生活を送っている人は、いくらでもいる〉という。


 著者は、家族が認知症にかかっても〈当面は「何もしない」こと〉。高齢者が認知症となるとつい、それまで普通にできていた家事や料理をさせないようにしたり、ひとり暮らしを辞めさせて都会で暮らす子どものところへ引き取ったり、あるいは介護施設に入居してもらったりということを考えがちだ。実際、そうしている友人・知人は多い。


 しかし、〈とりわけ、初期の間は、それまでと変わらない生活を送ることが、認知症の進行に歯止めをかけます。中期以降も「できること」を続けることで、病気の進行が穏やかになります〉という。同様のことを、以前取材した高齢者医療の医師からも聞いたことがある。この医師いわく、下手にいたれりつくせりの高級介護施設に入居してしまうと、体や頭を使わなくなって、認知症が進んだり、それまでできていた家事が急速にできなくなってしまうのだとか。


 ちなみに、「ひとり暮らし」のほうが認知症は悪化しにくい。〈家族に頼ることなく、自分の頭と体を使って生きることが、認知症の進行を遅らせる〉からだ。昨今、連続して強盗事件が起きるなど、高齢者のひとり暮らしは少々危険な雰囲気も出てきたが、認知症の進行を遅らせるという部分では、必ずしも悪い面ばかりでもないようだ。


■初期のころに注意したい「詐欺」


 認知症の初期のころに注意したいのが、金銭的な詐欺にあいやすいこと。〈知能レベルが保たれている分、詐欺師の持ちかけてくる「おいしい話」に反応しやすい〉からだ。一方で判断力は鈍っていたりする。極悪な詐欺師が相手でなくても、よく内容を理解せずに仕組債を買って大きな損失を抱えていたり、使いもしない商品を大量に買っていたりといった話を耳にしたことがある。


 認知症になって「火の消し忘れが怖い」とガスコンロをIH(電磁誘導加熱)に変えるなど、住宅のリフォームをする話をよく聞くが、〈理想的には、認知症の発症以前に購入して、使い方に慣れてもらっておくこと〉が大切だという。リフォームでトイレの場所を変えるなどの改修も注意したい。認知症でなくとも、高齢者は新しい家電や住環境に慣れるのはひと苦労だ。「歳を取ってきたから、いずれリフォーム」と考えているなら、早めがよさそうだ。


 記憶障害もさることながら、同居する家族など周囲にとって悩ましいのが、暴れたり、大声を出したり、徘徊したりといった、いわゆる「周辺症状」である。


 周辺症状は医師や介護する人など、周囲の人たちの接し方次第でずいぶん抑えられる。基本は、〈怒らず、叱らず、否定せず、相手のプライドを傷つけることなく、笑顔で接して安心させる〉。ちょっとした聖人のような振る舞いで、「できるか?」と問われればやや自信がない。〈同じ土俵に上がらず、うまく「いなす」方法を考えること〉は、ビジネスでクレーム対応に慣れた人なら得意分野か……。とくに家族が相手だと複雑な感情が入り混じって、怒りたくもなるのが人の常だ。これを仕事としてやっている介護職の方々には、本当に頭が下がる。


 少し前に認知症の男性が徘徊して列車と衝突した際、鉄道会社から家族が損害賠償請求を受けた事件があったが、徘徊しても〈意外に事故にあったり、大きなケガをする人は、ごく少数〉だという。以前、東京都内のある高齢者施設で話を聞いたとき、「閉じ込めるとよくないので施設にカギをかけていない。入居者が千葉県まで徘徊したこともあった」と聞いて、正直「大丈夫かな?」と感じたのだが、案外、事件・事故のリスクは低いのかもしれない。


 認知症の症状は人それぞれで、短期だった人がより怒りっぽくなる場合もあれば、人が変わったように穏やかな人格になるケースもあるという。我が家系を考えれば、長生きすると皆、認知症になっている。自分は後者であることを期待したい。(鎌)


<書籍データ>

ぼけの壁

和田秀樹著(幻冬舎新書990円)