フィールドワークの最中に出くわす虫で、ミミズのように赤っぽくて長いモノでもっとタチが悪いのがヒルの類である。従前だと東南アジアや中国南部でお目にかかるモノだったが、近年は日本の山でもよく遭遇する。注意してみれば、湿った地面にぬたーっと居るのを見つけることができるが、多くの場合は服が派手に血染めになってから気づく。
大抵は、ふくらはぎとか太ももあたりにかぶりつかれてズボンがみじめに汚れるのだが、上着のシャツの中に入られてわき腹についていたらしく、中シャツが血染めになっても外側のシャツには色が出てこなくて、着替える時に出血に気づいて慌てたこともある。
いずれの場合も、ヒルに咬まれても痛くないので気づかないし、ヒルはお腹いっぱいまで吸血したらぽろっと外れることが多いらしく、ヒルがくっついている時に気づくことは多くない。吸血中に凝血しないようにヒルが抗凝血物質を分泌しながら吸血することはよく知られているが、ヒルが満腹して外れても、抗凝血作用のある化合物は皮膚の浅いところに若干残るので、血はダラダラとしばらく出続ける。これが血染めの服の原因となる。
ヒルの抗凝血物質はなかなかにたいしたもので、出血していてもまったく痛みは無いのになかなか血は止まらない。かと言って、血圧がおかしくなるほど出血はせず、やがて血餅ができて出血は止まる。アユルベーダなどの伝統医学で行われる手技のひとつに、ヒルに上背部の“悪い血”を吸わせて治療するというのがあるが、ヒルにたかられてみれば、その方法のお手軽さには納得する。
蜂の巣のフライパン焼き(カンボジアの山岳部でのご馳走)
アリの炒め物(カンボジアの山岳部でのご飯のお供)
ジンコウジュの葉をもりもり食べるヨトウムシの仲間(ラオスの山岳部で)
近年、日本の山でヒルが増えているのは、野生の鹿が増えているから、らしい。ヒルが食餌にありつくのはヒトばかりではなくて動物であればいいわけで、鹿にはよくつくらしい。里山に出没する鹿は、畑作の食害をもたらす主役として困った存在だが、日本の山にヒルを増やしている主役としても暗躍しているらしい。筆者が初めて血染めジーパンの原因がヒルだと教えられ、その存在を認識したのは30年ほど前のベトナムの山中だったが、以来、何度となくヒル(の噛み跡の血染め服)には遭遇しているが、近年では日本国内の方が多いかもしれない。
皮膚にかぶりついて吸血しているのを見つけたら、当然すぐにつまんで取りたくなるが、吸血している間にヒルを引っ張って取ると、ちぎれたヒルの口輪部が皮膚の中に残ってしまうのでよろしくなく、そういう時は、吸血中のヒルにタバコの火を近づけてヒルが熱がって自ら落ちるようにするのがよい、なんていうことも、現場で教えてもらった知識である。
吸血するムシで、ヒルよりもっと嬉しくないのが蚊とダニの類である。
蚊は、マラリアを持っていなければ日本と同じ状況でたいした脅威ではないのかもしれないが、日本の外にはマラリア原虫を持った蚊が少なからず居て、種類や活動場所である程度は危険度の大小は判断できるものの、本体が小さくてなかなか厄介である。近年のマラリアは、薬剤耐性のものが多くなっている上に、俗に脳マラリアと言われる中枢神経が侵される状態になる場合もあり、発熱や倦怠感だけでは済まされないものという注意喚起がされている。
マラリア原虫を持つ持たないに関わらず、蚊に吸血されないようにすることが第一で、防御手段の筆頭は、なんといっても日本製の蚊取り線香。我々が現地調査で宿泊する宿は、煙感知器が設置されているような上等な場所であることはまずなかったので、部屋の中にいる時も、また軒下で柵葉標本の新聞紙交換をしている時も、渦巻き型の蚊取り線香の頭とお尻と両方に火をつけて両端から発煙させて、近くに置いて使ったものである。煙たい蚊取り線香より、肌につける虫除け剤がいいのではないかという方もおられると思うが、筆者の経験では、残念ながら虫除け剤は外国ではあまり効果が感じられない。嵩張るし、折れやすい、さらに近年は点火用のマッチが飛行機内に持ち込めない、という運搬には適さない特徴が目立つ蚊取り線香ではあるが、それらのマイナスポイントを上回る、確実な効果があるのが日本製の蚊取り線香なのである。
外国製の蚊取り線香も現地で入手は可能だが、煙が出ることは同じであっても、蚊を寄せ付けない効果は日本製が一番確かなようである。植物を追いかける現地調査に出る時は、毎日使っても大丈夫なように数を勘定して、多めに持っていく。余った場合は、現地共同研究者に土産に置いていくようねだられることが多く、頂戴した現地のお土産と入れ替えになることが多かった。
ダニについては他より遭遇回数は多くないが、地域ごとにいろんな種類と生態のものがいるようで、中には致死率の高い感染症の媒介者になっているものもあったりするので、これまた要注意である。野外で注意すべき奴らと、家畜についているやつ、宿所の寝具についていたりして厄介な連中等、嬉しくないこと甚だ多いのであるが、これまた小さいやつにたかられると、排除するのに苦労する。
筆者の経験では、ベトナムのど田舎の農場の真ん中に建てられた丸太小屋で、現地共同研究者や連れていった学生らと一緒に蚊帳を釣って寝泊まりしていた時に、筆者だけがダニだかノミだかにたかられて痛痒い思いをしたことがある。その後の体調不良等もなく、ことなきを得たが、痛痒い原因となった虫を突き止めることはできなかったので、少々気持ち悪い感じがあった。
吸血する虫が媒介する感染症で現地調査の最中に体調不良を起こすと、特に海外ではすぐに治療できるところへのアクセスがなかったり、医薬品が入手できなかったりする場合もあって、深刻な事態となることもある。植物のあるところに虫はつきものだが、現地調査では健康管理という面からも、虫はしっかり意識して観るべき対象物のひとつであるといえるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969 年大阪生まれ。元京都大学大学院薬学研究科准教 授。専門は生薬学・薬用植物学。18 歳で京都大学に入学して以来、1 年弱の米国留学 期間を除けば京都大学一筋。研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれた。途 上国から先進国まで海外経験は豊富。教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府や PMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHO や ISO の国際会議出席なども多かった。現国立医薬品食品衛生研究所生薬部部長。