野球のWBCが熱気を帯びている一方で、将棋の世界も熱くなっている。言うまでもなく、藤井聡太5冠を中心にしたタイトル戦が3月に集中しているのだ。藤井氏は竜王、王位、王将、叡王、棋聖と5冠を持っているが、この3月から4月にかけて行なわれる3つのタイトル戦に登場する。王将戦では防衛戦で、名人戦と棋王戦では挑戦者として登場するのである。


 まず、王将戦では羽生善治九段の挑戦を受けた。藤井王将が防衛するか、それともタイトル100勝に王手の羽生九段が勝つかに話題が集中している。その七番勝負は藤井王将の3勝2敗だったが、双方、先手番で勝っている。第6局は羽生九段の先手番だから勝利する可能性が大だが、先に3勝した藤井王将は気持ちに余裕が生まれるが、羽生九段のほうは後がない。第三者の目には羽生九段に勝ってもらい、最終戦までもつれ込んでもらいたい気がするが、やはり藤井王将のほうが強かった。大方の予想通り、勢いのある藤井王将が防衛した。


 一方、棋王戦と最も歴史のある名人戦は渡辺明棋王・名人に挑戦するのは藤井5冠だ。すでに始まっている五番勝負の棋王戦は藤井5冠が2勝1敗で、渡辺棋王に王手をかけている。ちかく第4戦が行われるが、王将を防衛した藤井5冠の方に余裕がある。一気呵成に勝利し、6冠になるのではなかろうか。


 その次は名人戦だ。渡辺名人に藤井5冠が挑戦する。おそらく、王将戦で防衛し、棋聖戦で勝利すれば6冠になる可能性の高い藤井氏が7冠になるかに興味が集中しそうだ。


 この名人戦と言えば、歌謡曲にも出てくる将棋に命を賭けた大阪の坂田三吉との一戦でも有名だ。関西随一の坂田三吉が日本一の実力者であることを示そうと、東京の関根金次郎名人に一戦を挑んだものだ。結果は双方2勝2敗で終わり、どちらもケガなくてよかったそうだ。この関根名人が戦前、引退し、名人位は宗家が継ぐのではなく、A級棋士の順位戦で挑戦者を決定するようになったと聞いている。初代名人は戦後も活躍した木村義雄氏だ。そんな歴史を持つだけに賞金額では2番目だが、ナンバーワンのタイトルだ。


 私が将棋を指していたのは小学生時代で、その頃は、タイトルは名人戦を含めて4つくらいしかなかったように記憶している。名人戦は最高のタイトルだから覚えている。九段戦も覚えていたが、それは王だとか名人とかいう強そうな名前と違っていたからだ。本当の意味は「名人に次ぐ」ということらしいが、当時の私には棋士の最高位が当時は八段だったから、その上ということで九段戦なんだろうな、と記憶している程度である。


 その後、将棋とは無縁だったが、週刊誌に入ると、編集部の奥のソファに将棋盤があり、暇になった時などに同僚たちと「へぼ将棋」を指して遊んだくらいだ。編集部内には慶応大の将棋クラブの元キャプテンと東大で将棋クラブの部員だった後輩がいたが、この2人はとてつもなく強かった。さらにそれよりももっともっと強いのがプロの棋士だから大したものだ。そのプロ将棋の世界で、藤井聡太氏が高校生プロ棋士として登場し、滅法強いことから将棋が話題になっている。それにしても、なんと、将棋のタイトルが8つもあることには驚く。かつての九段戦がいつの間にか十段戦になっていたが、それ以上にタイトルの多さは驚くばかりで、何が何だかわからなくなる。


 将棋のタイトル戦の主催者はたいがい新聞社だ。かつては毎日新聞と朝日新聞、読売新聞がそれぞれのタイトル戦を主催していた。なにしろ、1年間かけて挑戦者を決め、その総仕上げにタイトル戦がある。新聞にとっては毎日、その順位戦、さらにタイトル戦を掲載できるのだ。将棋大好き人間にとっては名人戦見たさに毎日新聞を購読するなんていう人もおり、新聞部数獲得にも役立ったのだろう。


 毎日、朝日、読売だけに独占されてはたまらない、と産経新聞や中日新聞、日経新聞、共同通信などが新タイトル戦を日本将棋連盟に持ち込んでタイトル戦が増えたと聞く。ついには新聞社以外のドワンゴが多額の賞金を持ち込んで叡王戦を創設したそうだ。多分、ドワンゴはゲームに将棋を持ち込むことを想定しただろうか。


 ところで、名人戦は日本棋院の料金問題に毎日新聞と朝日新聞の主催者争いが続いたことでも有名だ。かつては東京日日新聞(現毎日新聞)が主催者だったが、契約金問題から朝日新聞に主催者を移管。名人戦を失った毎日新聞は王将戦を主催し、タイトル戦がひとつ増加した。


 ところが、今度は日本棋院が契約金の値上げを主張したことに朝日新聞は反発。その間隙をぬって毎日新聞が主催者になった。名人戦を失った朝日新聞は朝日アマ名人戦を創設している。


 しかし、今度は日本棋院が毎日新聞に契約不更改を通告し、朝日新聞に乗り換える動きをしたことから毎日新聞が激怒し騒動が勃発。当時の日本棋院会長や理事を務める名人や王将が右往左往したものだが、朝日、毎日の共催ということに落ち着いた、と聞いた。


 ともかく、こんな賞金額の増額問題と新聞社の都合から昔は3つか4つだったタイトル戦が8つにもなってしまったようだ。それでも格が高いタイトルは歴史のある名人戦と賞金額が最大の竜王戦らしい。後から参入したタイトル戦は大概、五番勝負だが、昔からあり、格式の高いタイトルは七番勝負で、持ち時間も長く、勝負も2日がかりだ。五番勝負か、それとも七番勝負なのかで、格式が高いかどうかがわかる。


 だが、今後十数年は藤井5冠の時代だろう。王将戦では羽生九段を下して防衛したし、同時に進行中の棋王戦では双方2勝1敗だが、渡辺棋王・名人を破れば、6冠になる。続く名人戦はこれから始まるが、2人の対戦成績では藤井5冠が圧倒的に強かった。藤井6冠が名人位を奪いそうな気がする。


 先日、テレビでNHK杯に藤井聡太5冠が登場したのを見たら、相手の攻めを受け続けていて、相手の手が一手空いたとき、防御の駒がいつの間にか攻めの足場になっていたのに驚いた。これは強い。上り坂の藤井5冠はどう見ても失敗しそうもないように見える。棋王、名人位を取ってしまうと、残るは王座のタイトルだが、それも永瀬拓矢王座から奪う可能性もある。もしそうなると、8冠すべてのタイトル保持者になる。


 というのも、今までの将棋の歴史を見ていると、10年から20年ごとに天才が現れ、主要タイトルを総なめしている。宗家から実力主義に代わった第1回の名人は木村義雄氏で圧倒的に強かったようだ。ところがそこに現れたのが、大山康晴名人だ。対抗馬に升田幸三八段がいた。升田八段は豪快な攻めっぷりで人気があり、両人が何時もタイトルを争っていた。升田八段が激しく攻め込むのだが、詰め切ることができず、いつの間にか凌ぎに凌いでいた大山名人が有利になり勝ってしまうのだ。まるで大相撲の大鵬と柏戸戦のようだった。


 天才と謳われた加藤一二三氏も勝てなかった。大山名人の天下は20年ほど続いたが、そんなときに現れたのが中原誠名人だ。最初は大山名人に敗れたが、ついに名人位を奪い、中原時代をつくった。中原時代は10年ほど続くが、中原名人に対抗して羽生善治氏が登場して名人位を奪い取り、今度は羽生時代をつくり上げた。それから20年である。羽生善治氏もすでに52歳である。この10年近くは森内俊之氏に名人位を奪われたり、渡辺明名人に取って代わられたりしている。これは羽生時代の変わり目を示しているように映る。


 そんな時代に現れたのが藤井聡太氏だ。次々にタイトルを取り、今や第一人者だ。いわば、将棋の世界で20年ごとに現れる天才である。まだ20歳と若いにもかかわらず、マスコミへの応対でも高校生時代から謙虚ぶりな受け答えをするのに驚く。すでに立派な大人だ。棋王戦、名人戦では渡辺名人・棋王からタイトルを奪い取るような予感がする。この数年で藤井氏は次々にタイトルを奪取してきたし、防衛に失敗しタイトルを落としたこともない。彼は今20歳だから、今後20年近くは「藤井時代」が続くのではなかろうか。感心するしかない。(常)