医療・医薬のニュースを日々追いかけていると、目先の課題ばかりを追いかけがちだが、中長期で日本の医療の未来を捉えておく必要もある。『医の変革』は、テクノロジー(Ⅰ部)、未解決の病気(Ⅱ部)、社会と倫理(Ⅲ部)の観点から、これからの医療の視座を提示する1冊である。


 AI、ウェアラブル、遺伝子治療……、各論点には高度な専門分野も含まれるが、ジャーナリストによるインタビューをまとめる形で構成されており、一般の読者が読んでもわかりやすい。


 医療技術に関して、遺伝子治療、がん治療、精密医療といった論点が設けられているが、これからの医療がゲノム医療を中心に発展していくことを改めて認識させられた。しかし、〈遺伝子治療における日本の現状は、欧米諸国に比べて大きく立ち遅れて〉いるのが実情だ。〈若手研究者を育てるところから〉という立ち位置だけに、先行している国へのキャッチアップには少し時間を要しそうである。


 医療と倫理をめぐっては昔から〈社会が科学に追いつかない〉問題が生じてきた。医療技術の進歩と実用化が人々の常識の先を行ってしまうのだ。昨今ではゲノム編集や生殖医療、安楽死・尊厳死といったテーマがしばしば話題になる。倫理のスタンダードは時代背景や地域によっても変わるが、情報が瞬く間に世界に広がる現代では、日本では認められていない医療を日本人が海外で受けるケースもある。


 継続的な科学知識の啓蒙はもちろんのこと、〈さまざまな視点からどのようにするのがよいか、意見を出し合って解決策を見出していくこと〉が求められる。


■人材不足の解消、質の向上を実現する医療AI


 未来の医療では、今以上に情報テクノロジーが関与してくる。ビジネスの世界ではAIの実装が始まっているが、医療の分野への適用も検討されている。実用面では〈AIによる画像診断・病理診断〉は近い将来、現実味を帯びてくるはずだ。


 日本の医療機器の“充実”はよく知られるところ。MRI(磁気共鳴画像)やCT(コンピュータ断層撮影)の設置台数は世界トップレベルだが、〈人口あたりの放射線科医数は、英国と最下位を競っている状況〉だ。読影専門の会社などもあるが、撮影される膨大な画像に比べて読み手は不足している。早期のAIの戦力化が待たれるところだ。


 AIを医療現場に導入できれば別の効果もある。〈各医療機関が専門医を雇用しなくても、データを速やかに送ることができれば、画像や病理診断が中央の施設で一括管理できるようになり、医療の質の維持・向上、医療資源の集約化・効率化、地域格差の解消〉につながる。


 AIと医療では治療や診断に目が向きがちだが、医療現場では「文書の作成」への適用も期待される。カルテなどはもちろんのこと、看護記録や救急医療ほか医療現場のさまざまな場面で文書が作成されており、医療従事者の大きな負担となっている。本書によれば、看護は〈勤務時間の約三〇%(二・五時間)を看護記録に費やして〉いるという。


 患者との会話から記録を起こすような仕組みを構築できれば、文書の作成にかかっている負担を軽減し、本来の医療に向けられる時間が大きく増えそうである。音声認識もまずまずのレベルまで向上してきた。専門影向の辞書などが充実してくれば、“使える”状態になるまでにそう時間はかからないのではないだろうか。


〈人間でなければできないことは人間がやり、AIやロボットにできることはすべて任せるシステム構築〉に期待したい。


 少し前にスマートウォッチが登場して、昨今は健康ソリューションなどのスタートアップも増えてきた「ウェアラブル」の世界。それでも「得られるデータは限られるな」と高を括っていたのだが、技術は大きく進化していた。


 本書に登場するのは次世代のウェラブル・センサ。開発物語は本書で読んでいただくとして、大きな面積かつ超高感度で人体のデータを収集できれば、得られる情報は膨大だ。医療・健康上の新たな発見にもつながりそうな夢のあるデバイスである。


 小さな文字で書かれていて年寄りには少々つらいのだが、本書の全体像を理解するうえで有用なのが、巻末の座談会。革新的な医療技術を用いるときに生じる「ELSI」(倫理的・法的・社会的課題)、遺伝子変異を患者や家族に伝える「遺伝子カウンセリング」、医療や服薬に関する情報を集約した「PHR」(パーソナルヘルスレコード)等々のキーワードを絡めながら、現状の課題と未来の医療のあるべき姿を議論している。


 未来の医療に期待したいところだが、通常の会社以上に「変革」が難しいのが医療の世界。日本の製造業はいつの間にか競争力を失いつつあるが、医療の分野で“世界に冠たる医療”が、気がついたら大きく立ち遅れていた、という事態は避けたいものである。(鎌)


<書籍データ>

医の変革

春日雅人編(岩波新書946円)