日本列島を2週間、「野球漬け」にしたWBCは、「侍ジャパン」の劇的な優勝によって閉幕した。私自身、遠い日に草野球少年だったひとりとして、本当に何十年ぶりかに選手らの一投一打に興奮した。だがこうして、9回表裏の試合を連日フル観戦してみると、この競技のひたすら長い試合時間に正直ぐったりした。


 今回のWBCをきっかけに、野球人気の復活を期待する声も聞かれるが、さすがに令和の時代には、このド外れた「長時間競技」というハードルを何とかできないと、人気復活は難しい気がする。これだけ注目度の高いWBCでさえ、連日の試合観戦には時間の浪費への葛藤が伴うわけだから、通常のペナントレースを堪能するためには、それこそ生活の一部を野球に割くだけの覚悟が求められる。その昔、テレビやラジオで連日中継があった時代を振り返ると、我々の親世代はいかに多くの人が野球という単一娯楽の夜を送っていたものかと改めて気づかされる。


 今大会の熱狂は、何より大谷翔平という競技史上最高の世界的スターが日本チームにいる、というボーナスポイントが大きかった。次回や次の次のWBCまでは、今回と似た熱狂が繰り返されるにせよ、彼が現役を退いてしまったら、同等の選手はもう今世紀中には現れないだろう。そう考えると、WBCそのものの継続的発展も難しいように思う。


 ただ個人的に、今回好ましく思えたのは、代表チームからいわゆる「体育会的精神主義」が一掃されたことだ。大谷とダルビッシュという世界レベルの超一流選手がチームカラーを決定づけていた。もし仮に、監督やコーチらが昔風の根性論を振りかざそうとしたところで、この2人の大選手が到達した高みを現実に知る指導者はいない。メジャーリーガーに対抗するためには――と意思統一を図るうえで、監督・コーチが発する言葉より、兄貴分的な彼ら「実践者」のアドバイスのほうがはるかに説得力を持つのである。


 とくに印象的だったのは、ダルビッシュ選手が口にした「野球くらいで落ち込む必要はない。人生のほうが大事だ」という言葉だった。そこにはかつてイチロー選手が身にまとっていた過度にストイックな「ピリピリ感」も見て取れない。思い起こせば、若手の佐々木朗希選手にしても、高校時代に監督の助言を容れ、肩の故障予防のため県大会決勝への出場を見送ったピッチャーであった。そんなある意味世界水準でマイペースな選手たちを一人ひとり尊重する今回の栗山監督は、第1回大会監督の王貞治氏や北京五輪監督の星野仙一氏らと異なり、時代にマッチした「柔軟な監督」だったように感じられる。個々に自立したプロ集団として選手たちを扱い、その潜在能力を最大限発揮できるように条件整備を心掛ける。そんな「ポスト体育会時代」にふさわしい指導者だったように思えるのだ。


 今週の週刊文春は『侍ジャパン大奮闘「秘録」』という19ページもの「総力取材」の特集を組み、週刊新潮も『「大谷ジャパン」鮮烈なる残光』というトップ記事を載せた。すでに各種テレビ番組でさまざまにサイドストーリーも語り尽くされていて、これと言って目新しい話は見当たらない。


 ただ新潮は、栗山監督にあまりいい印象を抱かなかったようで、ある「ベテラン記者の談」として、「今大会では(監督の)言葉の“ポエム度”がかなり上がっていた」「“日本野球の魂”“気持ちで勝つ”といった精神論を連発した」などと皮肉っている。要はフワフワした言葉しか発しない監督だ、と言いたいのであろうが、私の印象では同じ精神論にしても古い指導者らのような上意下達の響きはない。


「わかりにくい言葉」という点で言えば、新潮が記事見出しのほか本文のまとめの一文にも使っている「鮮烈な残光」というワード選択のほうが、何を言いたいのかよくわからない「?」のつく言葉に感じられた。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。