週刊文春とウエブ版の「NEWSポストセブン」「集英社オンライン」の報道がぶつかり合っている。長崎県壱岐島の「離島留学生」だった椎名隼都君という高校2年生が失踪、水死体として見つかった事件をめぐってのことだ。遺体の発見前、まだ行方不明事件だった段階でこれを報じたのは先々週号の文春。ワイド特集に織り込まれた比較的小さな記事だったが、『17歳が失踪 壱岐島“離島留学”里親の虐待疑惑』という内容はショッキングだった。


 文春記事によれば、茨城県出身の椎名君は中学2年から壱岐市の「離島留学制度」を利用して、島内の「里親」Aさん宅で他の小・中・高校生の留学生6人とともに暮らしていたという。その彼が3月1日に失踪。記事では島に住む別の里親や、かつてAさん宅にいた元留学生、そして別の留学生の証言をもとに、「椎名君はAさん夫妻から日常的に叩かれたり怒鳴られたりしていた」「夜遅くまでゲームをした罰として、椎名君を含む複数の子が台風の暴風雨のなか、屋外で正座させられたこともあった」などと虐待疑惑を報じている。


 一方、高校生の遺体が20日に見つかると翌21日、NEWSポストセブンは、『《壱岐市の高校生が遺体で発見》里親が50分にわたり告白「隼都くんの過去の家出」「台風の中、外で正座」の真相は』という記事を配信した。そのなかでAさんは「日常的な体罰」を否定、椎名君が精神的に不安定だった中学生のとき、「死にたい」と漏らしたことがあり、そのときに一度だけ手を上げたことがあったとし、「嵐の中の正座」の実情も、「自分を含め嵐の中、車座になって(あぐらで)話し合い、(みなが互いにわかり合ったあと)談笑しながら帰宅した」だけの出来事であったと釈明した。


 すると、今週の文春は『壱岐17歳“少年自死”同居の離島留学生が虐待告発「里親に怒鳴られ叩かれ……」』という続報で、ポスト記事に反論した。新たな証言者として、椎名君とともにAさん宅にいた元留学生が「(ポストに出たAさんの証言は)嘘ばかり」と発言。文春記者はAさんにも再取材をし、告発証言の細部やニュアンスは否定されたのだが、「世間一般から見たら虐待ですよね。でも、僕らの中ではそういう気持ちっていうのは親心と思って。でも結果は結果なので」と半ば非を認める言葉を引き出している。


 ところが、文春発売日の翌31日、今度は集英社オンラインが『〈壱岐市・男子高校生死亡〉“虐待疑惑報道”の里親後激白150分「留学生受け入れはお金目的?」「台風の中正座させた?」「亡くなる直前の動向」……疑惑・誹謗中傷についてすべて話した」という記事で「参戦」した。一問一答形式でのAさんの証言内容はポスト記事と似たり寄ったりで、新たなデータとして地元住民によるAさん擁護のコメントが盛り込まれている。


 正直、これらの記事だけでは真相はわからない。こういった記事では、取材記者が抱いた第一印象で、対象者の描き方がまるで変ることがしばしばある。ただし、今回のポイントは、Aさん宅の内実を知る複数の元留学生と、疑惑をかけられたAさん本人の「証言の食い違い」だ。50分、150分と一方の側だけのインタビュー時間を誇ってもまったく意味はない。しかも、集英社オンラインの記事は、現地に足を運ばずに「電話取材」で書いたことが明かされている。もし元留学生たちが「ウソの証言」をしたのなら、果たしてその理由は何なのか(当然のことながら、Aさんの側にはウソをつく理由がある)。文春記事を検証するためには最低限、足を使った取材をしてそこに迫る努力が必要だ。少なくとも「両者」の話を聞き、記事を書いている文春に対し、ポスト・集英社の記事は、その手順を踏んでいないのだ。お粗末としか言いようがない。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。