フィールドワークの持ち物リストの話は以前に書いたが、その中で、いわゆるフィールドワーカーに共通の物品と、目的や用途は同じでも具体的なブツに何を選ぶかに個性が出る物品とがある。


 薬用植物を追いかける現地調査に必須のアイテムで、研究者によっては強いこだわりを持って選んで使うのが写真機である。併せてフィルムも研究者ごとに好みが別れる。最近は一眼レフもデジタルカメラが主流になって、さらにはスマートフォンの撮影機能がデジカメを超える機能を持っていたりして、研究対象の姿を画像として記録する方法も機械も、ずいぶんと様変わりした。筆者も最近はデジカメを持ち歩くことはほとんどなくなって、機種変更するたびに重たくなるスマホを、撮影道具にもっぱら使うようになっている。しかし、この連載に添付している画像の多くは、過去にフィルムカメラで撮影したものか、小型のデジカメで記録したものである。


 筆者がフィールドワーク初心者だった1990年代半ばは、フィルムカメラの一眼レフ機種にはものすごくたくさんの種類があって、それぞれにいろんな特徴が宣伝されていた。しかし、価格は総じて非常に高く、中古品であっても国立大学の若手教員にはなかなか手を出せるお値段ではなかった。今なら、研究のためのフィールドワークで研究対象を撮影するのだから、研究費で購入したらいいじゃないかと言われるかもしれないが、当時は研究費の使用ルールなどは細部まではきちんと整えられておらず、研究以外の私用に使う可能性があるものは、その管理状態の如何に関わらず、研究費での購入はほぼ無理で、いわゆる自腹で購入するしか方法がなかった。


 一方、フィルムは消耗品で、撮影像という証拠品が残るので、研究費で購入できた。空港の荷物検査のエックス線で感光してしまわないように、鉛製の専用の袋に入れてしっかり袋の口を閉じてスーツケースに入れるのだが、袋の容量には当然ながら限度がある。1ヶ月を超える長期滞在となると、袋満杯の20本では不足することが予想される場合が多く、如何に上手にフィルムを節約するかは、現地調査の最中はいつも頭の隅で考え続けていなければならなかった。


 また、フィルムカメラでは、撮影後、フィルムを現像するまでは、何がどのように撮影されたかは確認できない。帰国してフィルムを現像に出し、写真屋さんから返ってきた現像物をみて、失敗した!と思っても、もうあとの祭りなのである。さらにこの頃は、写真をあとから素人が加工することは出来なかったので、撮影時にフレームの取り方や露出等がよろしくなくて、イマイチの写真しか撮れていないと、講演なんかで使うたびに残念な気分になってしまったものである。


 1995年ベトナム_ビンロウジと石灰(桃色の壺)とキンマの葉


2000年ウズベキスタン_市場の果物売りのおばちゃん(金歯が印象的)<注:当時のウズベクは銀行システムが正常に働いていない頃だったので、財産は誰にもとられる心配がない金歯にして所持>


2007年イラン_ハカマオニゲシ(野生)の保護区にて


 今では現地調査の写真を印画紙に焼くということはほとんどしなくなったし、スライド映写機で台紙にマウントしたコマ写真を使ってプレゼンすることもなくなった。撮影時にフレームがまずくても、写真データはあとから簡単に修正できる。現地調査の必需品で、最も大きく変わったのは、この写真にまつわる状況だろう。


 薬用植物を追いかける現地調査の写真機以外の必須アイテムとしては、ほかにも、剪定鋏や野冊、サンプル袋(帆布製等)、軍手、油性インクの太書きペンなどが挙げられるが、いずれも写真機ほど激変はしていない。強いて言えば、生物多様性条約の目的であるABS (access,benefit and sharing) の実効性を高めるために取り決められた名古屋議定書が発効してからは、海外から植物サンプルを日本に持って帰ることが難しくなり、野冊やサンプル袋は最小限の装備を入れるか、または持っていかないで済ませることが多くなった。


 薬学系の研究者で海外の現地調査を含む研究計画をたてることが非常に少なくなった背景には、この生物多様性条約を盾に、天然資源の国外持ち出しを、理由の如何に関わらず禁止する国が急増したということがある。持ち出しを禁止した資源保有国の中に、しっかりした研究機器を備えた天然物の研究施設があれば、その施設との共同研究という形で天然資源は持ち出さずに資源保有国内で研究は実施できるはずだが、そういうケースは多くないのが現実である。設備の整った日本で研究をするために天然資源の持ち出し許可をとろうとすると、資源保有国の、研究に理解があるのかないのかわからない政府のお役所から許可を取らねばならない場合が多く、年単位の時間がかかることは珍しくない。研究実施期間として1年から3年程度で結論を出さねばならない、現行の日本の研究資金制度の中では、許可がとれる前に研究期間が終了してしまう。この状況では、初めから、現地調査を含む天然資源研究計画をたてようとは思わないだろう。(学術研究と生物多様性条約の関係については、国立遺伝学研究所のABS学術対策チームのホームページに詳しく情報があるので、そちらを参照ください。)


 フィールドワークの装備の話から脱線して、思わず、頭の痛い国際条約のことを書いたが、これも、しばらく経って振り返ったときに、「そういう時代もあった」と書ける内容になって欲しいものである。


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969 年大阪生まれ。元京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18 歳で京都大学に入学して以来、1 年弱の米国留学期間を除けば京都大学一筋。研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれた。途上国から先進国まで海外経験は豊富。教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府や PMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHO や ISO の国際会議出席なども多かった。現国立医薬品食品衛生研究所生薬部部長。