1990年代から現在にかけて、生活習慣病の領域を中心に画期的な医薬品が多数登場したものの、がんと並んで残された分野のひとつが精神疾患だろう。中枢神経領域を注力分野にあげる製薬会社も少なくないが、発症のメカニズムなど未解明の部分も多い。
『精神医療の現実』は、現代の精神医療の課題に迫る1冊である。足下の話題だけでなく、歴史的な経緯などに触れられている。精神医療の世界を大きく捉えるには格好の本だ。
冒頭から身の引き締まる思いになったのが、〈ジャーナリズムにおいて乱用されることが多い〉と指摘された〈流行語〉のくだりだ。
近年も「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」、「カサンドラ症候群」、「HSP(生まれつき非常に感受性が強く敏感な気質を持つ人)」等々、一般にも知られるようになった言葉があるが、間違った使い方だったり、そもそも医学的に定義されていなかったり、といった具合。大衆向けのメディアではわかりやすさを優先して、細かい説明を省くこともあるが、「誤用」だったり「おかしな情報」になるのは避けなければなるまい。
納得感があったのが、精神疾患の増加の分析。〈1990年代の末ごろから、精神疾患の「流行」というべき現象がみられるようになった〉が、著者はその理由は〈単純化できない〉としながらも、時代的な背景として阪神淡路大震災やオウム真理教事件を挙げる。
加えて、〈バブル崩壊後の金融危機〉〈雇用制度の崩壊〉といった経済の要因、精神科クリニックの開業の増加、〈新規の薬物の販売元である外資系の製薬会社による宣伝活動〉といった医療・医薬の提供側の要因も重なっている。
雇用や収入が不安定でストレスフルな社会環境の中、精神科医療の提供体制が整い、啓蒙活動が行われたことで、精神疾患が浸透したということなのだろう。
歴史的な部分では〈呼称の変更〉にも触れている。本書に登場するのは、精神病院→精神科病院、早発性痴呆→精神分裂病→統合失調症。よく知られているところでは、痴呆症→認知症がある。
昔の呼称を現代人の基準で見ると、「ちょっとその呼び方はないだろう」と考えるが、統合失調症をはじめ精神疾患には、原因が特定できていないものが多い。治療法が確立できないなか、実態が変わらないまま、誤解や偏見が解消されなければ、将来の人の基準で再び変更になるのかもしれない。
■真の専門家不在の精神鑑定
新しい視点が得られたのは、精神鑑定の世界。常人では理解できないような猟奇的な事件などが起こると、当事者の精神状態や責任能力をめぐって精神鑑定が話題になるが、その実態を解説している。
欧米では精神疾患の法的な側面を扱う「司法精神医学」が長い歴史を持っている一方で、日本の医学部には司法精神医学の講座がない。真の専門家が不在なのだ。〈かつての精神鑑定は犯罪に関心が深い一部の医師や著述家たちのマニアックな世界だった〉という。
裁判員制度が始まり一般の人が裁判にも関与してくる時代になった。〈実際の鑑定例について情報をできるだけ開示し、オープンな場で医学的な検討を重ねることが、治療的側面からも、犯罪の予防においても今や重要な課題になっている〉との指摘は重く受け止めたい。
薬物療法やカウンセリング、心理療法については、日ごろからある程度情報していることもあって、驚くほどの新情報はなかったが、完全に欠落していたのが「電気ショック療法」(電気けいれん療法〈ECT〉)の知識だ。
電気ショック療法とは、頭部を電気で刺激して、人為的にけいれん発作を誘発させる治療法である。少々拷問を思わせるような響きから、完全に「過去のもの」と誤認していたのだが、向精神薬の登場で一時的に減少したものの、昨今は筋弛緩薬や麻酔薬などを用いた修正型(苦痛や骨折などのリスクが減る)で、実施されている。〈主としてうつ病の治療法として使用されており、特に希死念慮が強く自殺のリスクが切迫しているケースには、有効な治療法である〉。
精神疾患を患った藩主をめぐって起こった旧中村藩のお家騒動「相馬事件」、戦前、松沢病院が東大精神科の病棟の役割を担っていた背景、小説『白い巨塔』で、初診医として胃がんの肺転移を見落とした里見医師の責任……と周辺の話題も満載。精神医療の課題・現状を探りに行くもよし、知的好奇心を満たしに行くもよしの一冊である。(鎌)
<書籍データ>
『精神医療の現実』
岩波明著(角川新書1034円)