TBSラジオで今月始まった『深夜特急 オン・ザ・ロード』(毎週月~金曜日23時30~55分)は、沢木耕太郎氏の往年の大ベストセラー全6巻のシリーズを俳優の斎藤工氏が朗読する番組だ。今週の週刊新潮では、これを記念して沢木氏と斎藤氏が『新たな旅立ちを迎えた「深夜特急」対談』と銘打って、バックパッカー旅の魅力を語り合っている。
この作品は沢木氏が若き日に香港、バンコクを経てカルカッタからロンドンへと約1年かけ陸路の放浪をした70年代中頃の旅の記録である。それから約四半世紀を経て、斎藤氏も高校生時代、この本に刺激を受け、香港への貧乏旅行に自らも身を投じたという。
『深夜特急』が書籍化されベストセラーになったのは、実際の旅から10年ほど過ぎた時期のことだ。沢木氏によれば、すると直後には、仕事で会う何十人もの女性編集者やライターから「私の彼は、この本を読んで旅に出ちゃったんです」と打ち明けられたという。それほどにこの本は80年代の日本で放浪旅行熱を盛り上げた。「もしかしたら(あの当時旅に出て)人生を誤ってしまった人もいるかもしれないな」。対談で沢木氏はそんな言葉も漏らしている。私自身2000年をまたいでラテンアメリカを放浪し、ペルーの地で数年間生活した体験から、氏の言葉には思い当たる節がある。当時のバックパッカーは「沈没する」という言い方をしていたが、長旅の末、日本に「帰りそこねた人々」は、南米でもそこかしこに暮らしていた。
フワフワした旅暮らしの感覚のまま、気がつけば20年、30年と時が過ぎ、母国でのタイトな日常に戻れなくなってしまう――。そんな浦島太郎的な人たちである。それでも沢木氏は、放浪旅行に出る行動そのものは「決してマイナスではない」と強調し、斎藤氏も「ここではないどこかへ一歩動いてみよう」と番組を通して呼びかけるつもりだという。実際、昨今の若者を取り巻く重苦しい国内環境を考えると、軽快なフットワークで世界を歩く人たちには、何かしら閉塞感を打破する出会いや発見がありそうにも思えてくる。
対談記事と言えば、5月末で休刊となる週刊朝日の渡部薫編集長と、同じ新聞社系週刊誌の老舗・サンデー毎日の城倉由光編集長のやりとりが1週間ほど前、アエラドットのウエブ記事としてアップされていた。18日には毎日新聞社の主催で、両人を含む2誌の関係者が『週刊誌の時代と現在地』と題したトークイベントを開く予定もあるらしい。どんないきさつでこれら対談が実現したかはわからないが、少なくとも雑誌業界から「退場する側」の週朝関係者が、未練がましく自らを語ろうとする姿には、正直、痛々しさを覚えるだけである。
週朝の誌面のほうを見てみると、往年の名物企画『デキゴトロジー』(笑える小ネタの特集ページ)が復元されていて、「休刊まであと⑦回!」とカウントダウンまで入れている。若き日に電車内でこの欄を読み、笑いを嚙み殺すのに苦労した記憶もある立場からすると、復活したページに、そのレベルの記事は載っていない。アエラドットの編集長対談にしても、90年代の「週刊誌黄金期」の回想をすればするほどに、現在の誌面との落差がより強く印象付けられる。
もちろん、往年と同じだけの取材費・人員をかけ誌面の質をキープしても、出版環境がこれだけ悪化すれば、部数減は避けられなかっただろう。だが、予算も人も「半減」か、それ以上にカットして誌面をこれほどまでチープにした以上、いまや「休刊となって当然」と万人が納得する雑誌が残るだけだ。そもそも私の知る限り、雑誌の休刊は実施直前に発表されるのが通例で、これほどダラダラと「休刊までの消化試合」を見せつけた例は記憶にない。最後に「世間を震撼させるスクープ」でひと花咲かせるなら拍手を送りたいが、そうでないならば、これ以上の号を出すことに意味は見出せない。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。