フリーランス医師の存在が知られるようになって久しい。麻酔科などでは珍しい存在ではなくなったが、「病理医」という意外感もあって手に取ったのが『フリーランス病理医はつらいよ』である。


 病理医は、麻酔科医と同様に専門分野だけでは開業しにくい診療科だが、〈全国で約2120人〉という希少性に加え、医療技術や機器の進歩もあって、そのニーズは高まる一方だ。


 1人病理医の病院も珍しくない。病理医が確保できずに〈大学病院などから非常勤という形で病理医に臨時で来てもらうか、都道府県に登録している衛生検査所と呼ばれる施設に病理診断を依頼する〉病院もあるという。


 確かな腕を持っていることが大前提だが、フリーランス病理医という働き方が成立する条件は揃っている。


 テレビドラマ化もされた漫画『フラジャイル 病理医岸京一郎の所見』で、病理医は一般にも広く知られるようになったが、医師の世界ではかなりの少数派である。組織の中で声は小さくなりがちだろうが、働く側の立場で見れば、知られざるメリットもある。


 例えば「学閥」の力が弱いこと。昔ほどで強力ではないとはいえ、医師の世界では大学の医局を中心とした学閥が存在している。ところが、人材が不足している病理医の世界では、大学病院が関連病院に人を出すことは難しい。そのため〈病理医は学閥をさほど気にすることなく、実力だけでのしあがる〉チャンスがある。


 勤務医の激務はよく知られるところだが、病理医は〈当直がない、標本を見る時間に融通がきく、といった働きやすさ〉がある。幼い子どもを持つ女性医師にとっても、働きやすい診療科なのだろう(本来はすべての診療科がそうあるべきなのだが……)。


■DXが解消するフリーランスのデメリット


 では、フリーランス病理医という働き方はどうか?


 組織の中に属していれば、強制的に仕事を割り振られたり、勉強させられたり、同僚と話をするなかで新しい情報に触れるケースも多い。フリーランスではこれがなくなる。


 著者は〈完全に一匹狼になってしまった時、新しい知識や情報を得る機会が少なくなってしまいます。もちろん一人で論文や専門書を読むことはできますが、バーバルコミュニケーション、耳学問は結構重要だったりします〉と指摘する。


 今、ビジネスの世界では、過去の勤務先や同僚などとの「ゆるい(弱い)つながり」が注目されている。情報収集や転職、イノベーションにつながる対人関係と見られているからだ。時代遅れにならないために、フリーランス病理医も、大学の医局などとのつながりを保っておくことが必要だろう(著者は実践しているという)。


 一方で、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の進展で解決できることもある。フリーランスの病理医のデメリットである、「難解症例などを他の病理医に相談できない」「医療拠点までの移動に時間がかかる」といった問題は解消に向かいつつある。


 例えば、医療ソフトウェア、クラウドサービスの進歩で、全国の病理医たちが標本を見ながら議論するといったことが可能になってきた。移動時間の問題にしても、著者は〈いろいろな病院に自ら出向いて診断するという方法ではなく、画像データを遠隔で病理診断することになる〉という未来を予測する。


 近未来という意味では、医療とAIの関係も気になるところ。米国ではすでに、前立腺がんの診断補助を行うAIソフトウェアが承認されている。日本でも病理医がAIソフトウェアと「協業」する時代がまもなくやって来るはずだ。専門知識に加えて、ITツールを使いこなせることも、フリーランス病理医として生き残っていくうえで不可欠の能力になるだろう。


 社会的な信用や収入面はどうか?〈医師の格は、大学病院→一般病院→開業医→フリーランス医であり、収入はその逆〉だという。〈一度格下に落ちたら、なかなか元には戻れません〉とはいうものの、よほど問題ある医師でなければ、食いっぱぐれることはないだろう。


 さて、業界職種を問わず、フリーランスのメリットのひとつが、組織の縛りにとらわれずに発言できること。その意味で、〈第5章 フリー病理医が見た医療の真実〉は、医学部や大学病院、医師の世界がホンネで語られている。けっこう生々しい。病理医に限らず、医学生や医学部進学を考える受験生なら、一度は目を通しておきたい。


 個人的に「ツボ」にハマったのが、〈医学には権力とお金が集まる。政治的に力を持つのです。例えば医学部を持つ総合大学の多くが医学部出身である〉という指摘。言われてみれば確かにそうだ。医学部vs他学部、学長選でどんな攻防が繰り広げられているのか? 別の興味がわいてきた。(鎌)


<書籍データ>

フリーランス病理医はつらいよ

榎木英介著(ワニブックス990円)