今週は週刊新潮『専門家からは「放送法違反」の声 NHKが「ワクチン死」を「コロナ死」にすり替えた“ニュースの裏側”』という記事で、暗澹たる気分にさせられた。従来、新潮が扱うメディア・ネタは「右派から見た偏向報道批判」というそれ自体、バイアスがかかった記事が多いのだが、今回は右派論客のコメントを散りばめることもなく、純粋に「報道人としての基本動作・常識的判断」という視点からフラットに騒動を報じていて、昨今のメディアの「絶望的な人材難」を如実に表していた。


 取り上げられたのは、5月15日放送の『ニュースウォッチ9』で流された「新型コロナ5類移行から1週間」という特集だ。あのクルーズ船「ダイアモンド・プリンセス号」の騒動から始まって、この3年余のコロナ禍を象徴するシーンを次々映し出し、街頭に賑わいが戻ってきた最近の映像で締めくくられている。問題となったのはこの特集中、「コロナで家族を亡くした遺族」と受け取られる格好で、実際にはワクチンの副反応で他界した3遺族の談話がはめ込まれたことだった。


 コロナに感染し病死した人と、コロナ予防のため接種したワクチンが災いして死亡した犠牲者は、意味合いがまるで違う。当然のことながら、3遺族は事故被害者として「ワクチン問題」を訴えるつもりだったのだが、放映されたレポートではワクチンのワの字もなく、ただ単にコロナ禍で身内と死別した人として「情感の滲む述懐」だけを切り取られてしまった。もちろん、みな怒り心頭である。


 いったいなぜこんなことになったのか。記事によれば、この特集は取材記者でなく、編集を担当する番組スタッフが発案・制作したもので、「(記者としての)スキルや人脈がなく、コロナでなくなった方の遺族を見つけることが出来なかった」ために、苦肉の策としてワクチン被害者の団体からこの3遺族と接触したという。そして編集責任者などスタッフの上司らも「広い意味ではワクチン被害者もコロナ禍で死んだ人だ」と、今回の扱いにOKしたらしい。


 内部のやり取りでは、副反応にまつわる「表現は慎重に」という指示も出ていたそうだから驚く。政府のワクチン政策への忖度か、そもそも局内にはワクチンへのネガティブな情報は出さないという了解があったという。だとすれば、現場はコロナ死とワクチン死の違いを「対政府」の点からは十分認識し、一方でワクチン犠牲者の複雑な胸中には呆れるほど無頓着だったことになる。絶対に同一視してはいけない事故の被害者を、単なる病死者と紹介してしまったのだ。取材記者であれ編集マンであれ、ここまで素人同然のスタッフが、NHKの看板報道番組をつくっている現実に愕然とする。


 ここで思い起こすのは一昨年、『河瀬直美が見つめた東京五輪』というNHKドキュメンタリー番組で、匿名・モザイクで取材した男性の映像に、「おカネをもらって五輪反対デモに参加している」という事実無根の説明を字幕でかぶせた「でっち上げ問題」だ。あのケースでも確か、取材担当者がスポーツ部門の人間で、社会的・政治的テーマに不慣れだった、と説明されていた。私はたまたまこの直後、NHKの幹部職員に会う機会があり事情を聴いてみた。ネット上の流言を信じ込む右派思想のスタッフがやらかしてしまったのか。そう問うと、この幹部は「だったら、まだ理解できるのですけどね」と、不可解な現場判断に頭を抱えていた。担当スタッフにはつゆほどにもイデオロギーはなく、この字幕が大問題になるであろうことも予期しなかったという。それほどに「何も考えず」不確かな伝聞をそのまま放送してしまったという。


 これらの問題に私が感じるのは、映像であれ紙媒体、ネットメディアであれ、もはや報道の一線にいる人たちは底抜けに劣化したということだ。NHKだけを責めるつもりはない。むしろ天下のNHKにしてこのありさまであり、いわんや他のメディアは……という実情だと思う。国会議員や政権幹部にしても、同じである。日本人全体の知性・常識は「この程度」になったのだ、と受け止めるほうが、諸々腑に落ちる。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。