現地調査のことを振り返って文章にしようとする時、写真とセットで書くことが多いので、写真に写っていないものは話題にしにくいところがある。それは何か。においや音である。においが記憶と強く結びついていることは、いろんな場面でご経験があると思うが、音も然りである。


 現地調査に行った先で、繰り返し聞いているうちに、見ている風景とセットで記憶されてしまうのだろう、覚えようと思ったこともない音が、日本の日常の中でふと甦ることがある。逆に、何処かで聞いた音だ、というのを耳にして、眼前の景色とは違う風景が脳裏に展開したりする。


 出張先のホテルの窓からぼーっと外の景色を眺めている時に、どこからともなく聞こえてきた鳥の鳴き声に、どこかで聞いたことがあるけど思い出せないなあというときがある。ついつい、鳴き声の主を探そうと眼前の景色の中に目を凝らしてしまうのだが、どこかで聞いた、という感覚のほうが気になって、思わず目を瞑ったことがあった。そうしたら、なんとなく思い出したのである。その時聞いた鳥の声は、現地調査で中央アジアの山中に滞在していた時に、毎朝、耳にしていた鳴き声にそっくりだったのだ。


 我々の現地調査は薬用植物中心の調査ばかりだったので、サンプルそのもののほかに集める記録の中心は映像、つまり、写真だった。付随する情報は、ノートに手書きで記録、である。今なら、小型のレコーダーなど、便利なデバイスがお手頃価格で購入できそうだが、まだそういうものはお高くて入手が難しかった頃、いく先々に電気が通っている街があるのかどうかさえ怪しい状況の現地調査では、音で情報やその場の状況を記録するという選択肢はなかった。


 鳥の鳴き声の他に、筆者に現地調査を思い出させてくれる音は、道路を走るバイクのエンジンや排気の音である。どういう音かと言われても、文字にすることが至極困難。


 日本では、道路を走るエンジン音は圧倒的に車両のそれが多く、バイクの音はよほど特徴がなければ耳に残らないのではないだろうか。そのバイクのエンジンと排気の音で、妙に聞き覚えのある音が時々あるのである。どこで聞いたかといえば、ベトナムである。


 筆者が初めてベトナムのホーチミン市を訪れた90年代前半は、まだ市中ではシクロが市民の足として中心的役割を果たしている頃で、ガソリンエンジンを積んだ車やバイクは多くなかった。やがて、2000年を過ぎる頃になるとバイクの数が増え、道路を埋め尽くすほどにまで増えた。その頃からだったか、ホーチミンの飛行場から市街へ向かう、ちょうど飛行場エリアの出口あたりから市内までの道はほぼひとつきりで、我々を乗せた車はいつも超大量のバイクに囲まれて進むのだった。


 バイクの海、それも、バイクタクシーの二人乗り状態か、てんこ盛りの荷物を運ぶバイクばかりで、ヘルメットは誰もかぶっていない、それが車を取り囲んで進んでいくのである。さすがに時速は10キロか20キロメートルほど、徒歩よりは速いがかけ足よりは遅いくらいのノロノロ運転である。車とバイク、バイクとバイクがお互い、触れてしまいそうでヒヤヒヤするのだが、ホーチミンの運転手たちはまったく平気、いつものこと、という感じで進んでいくのである。




 この頃のホーチミン市のバイクの音は、昼間だけではなかった。暗くなってから、街中の大通りを大量のバイクがノロノロ運転で大行進し続けるのである。しかも、どのバイクも1台に家族とおぼしき数名がてんこ盛りに乗っているのである。よくあるパターンは、男性が運転、その前に子供がひとり座り(男性は子供を抱えるような格好でハンドルを握る)、後ろに女性が座って、女性と男性の間に子供がひとりかふたり座る、というものである。このサーカスのような状態で、倒れない程度のゆっくりした速度で、夜の大通りを周回するのである。


 初めて見た時は、デモ行進か何かだろうと思って緊張したのだが、バイクに乗っている人たちの表情が柔らかで、楽しそうな感じだったので、違和感たっぷりの光景だった。現地共同研究者に訊いてみると、「あれは夕涼みです」という答え。


 各家庭に冷房設備など無い頃である。バイクでゆっくり走ると弱い風に当たっている格好になって涼しいので、バイクを持っている優越感と共に、大通りを家族連れでぐるぐる回って夕涼みをしているのだ、ということだった。


 今ではそんな光景はあろうはずもないが、少し前のホーチミン市では、こうして夜も昼もバイクの音を聞いていたのである。


 バイクで走って夕涼み。ガソリンの値段が高くないベトナムだからこそ出来た、ユニークな過去の音の風景である。

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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969 年大阪生まれ。元京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18 歳で京都大学に入学して以来、1 年弱の米国留学期間を除けば京都大学一筋。研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれた。途上国から先進国まで海外経験は豊富。教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府や PMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHO や ISO の国際会議出席なども多かった。現国立医薬品食品衛生研究所生薬部部長。