ヒトはときにまちがえる。年齢を重ねれば、記憶力も衰える(最近、実感している)。そのカラクリを探るべく、『まちがえる脳』を手に取った。


 疑問はあっさり解決した。そもそも人間の脳はまちがうようにできているのである。脳が信号を伝達する方法については、概ね理解していたつもりだったが、根本的なところで認識違いをしていた。


 コンピュータのような、〈制御中枢からの指令が一方向に流れることで、他の装置、あるいは集団や個人を制御している〉形をイメージしていたのだが、実はまったく異なるという。


 脳の場合、〈特定の指令所をもたず、集団が集団自身を制御するという、いわば「究極の民主主義」とても呼ぶべき方式〉がとられている。


 詳しくは本書を参照していただきたいが、ヒトの信号伝達は、低確率で不確実なものだ。そこで多数のニューロンが協力して信号を送ることで(同期発火)、高い確率で伝えている。しかし、エラーを完全に排除することはできない。そのため、ときどきまちがうのである。


 ちなみに、集中しているときには、ニューロン集団の同期発火が起こりやすくなる。集中しているとミスが起こりにくくなるのは、この仕組みと関係しているのだろう。


 一般には「まちがいなんてないほうがよい」と考えがちだが、実はまちがえることにもメリットがあるという。


 脳の信号伝達でエラーが生じることは、従来なかったアイデアや発想が出てくることにつながる。すべてが有用とは限らないが、まちがうことこそ、人間の創造力の源泉なのかもしれない。


■正確な記憶力の弊害


 稀に存在するという、コピーのように正確な記憶ができる人物のエピソードが紹介されている。数年前の文字や言葉を正確に覚えている、驚くべき記憶力を少しうらやましくも思ったが、正確な記憶ができる一方で、〈強固で変わらないゆえに、分解されず、連合もせず、再合成もされず、新たな状況に合わせて変えることもできない〉のだという。


 覚えていても、活用・応用できないのだ。実社会では記憶や経験をもとに、柔軟に判断したり、創造力や抽象的な思考力が求められたりする場面は多い。ときどきまちがえる人のほうが「使える」社会人なのだろう。


 さて今、世間は「Chat GPT」など生成AI(人工知能)の話題で持ちきりだ。本書では脳と関連して、AIの未来についても予想している。これまでできあがってくる文章やイラストのクオリティを見るにつけ、AIが人間の知能を超える「シンギュラリティ」(技術的特異点)も遠くないと感じていたのだが、著者は否定的だ。


 脳には未解明な部分がまだまだ多い。加えて〈自然界には、人の行動も含め、数式で記述できない現象は山ほどある〉からだ。脳の複雑かつ不思議な機構を知れば知るほど、2045年のシンギュラリティ説には慎重にならざるを得ない(一部の仕事はAIによって、消えているだろうが……)。


 本書では、ゲーム脳や脳と食べ物の関係ほか、有名人や研究者、マスコミがばらまいてきた「脳の迷信」についても警鐘を鳴らす。一般向けのメディアで起こりがちだが、〈わかりやすく伝えるため、あえて簡略化、あるいは誇張して公表することで、まちがった内容で広まることがある〉という指摘は重く受け止めたい。


 個人的には、高齢者が熱心に取り組んでいる「脳トレ」の効用が気になった。ずいぶん前からゲームや書籍で人気を集めているようだが、海外での大規模調査の結果によれば、〈高齢者が脳トレを繰り返しても、認知機能や記憶機能が改善するという事実は確認されず、認知症の予防効果もなかった〉という。


 周囲にも結構ハマっている高齢者がいるが、本人たちが楽しんでいるなら、「意味がない」とわざわざ指摘するのも野暮か。(鎌)


<書籍データ>

まちがえる脳

櫻井芳雄著(岩波新書1034円)