ある農村部でその昔、共産党の地方議員を務めていた90代の老人に話を聞く機会があった。10代でシベリア抑留を体験し旧ソ連に複雑な思いを持つものの、一方で抑留中も延々と続いた日本軍内部の下級兵士いじめに抗うため共産主義者の運動に身を投じ、帰国後は農業の傍ら農協幹部や地方議員に選ばれて、地域に根差して生きてきた。
そんな老人の目に現在のウクライナ戦争はどう映るか。そう問うと、ロシアによる侵略戦争はもちろん非難するが、目下何よりも必要なことは、両軍が直ちに銃を置き、まずは戦闘を中止することだという。とはいっても……ロシアによる不当な領土支配を既成事実化するであろうその案に、私は素直には頷けずにいた。
だが一方、私自身戦争に関しては、国家指導者や大参謀のように国益やら戦略やらを勇ましく論じることは避け、否応なく戦渦に巻き込まれる「下々の民」のひとりとして、命あっての物種、「命どぅ宝」という感覚を忘れぬよう心掛けてきた。先の大戦でも、真珠湾攻撃であれほど熱狂した愛国的民衆のほとんどが、数年後は負け戦を受け入れて、1日も早い終戦を望むようになったのだ。
開戦から1年余のウクライナでは、まだまだ国民の戦意が高いイメージだが、果たしてそれはいつまで維持されるか。そろそろ徹底抗戦より停戦を望む人も一定数、増えている気もする。延々と勝利の展望が開けぬ戦争では、どこかのタイミングで必ずや民衆の戦意は萎むものだ。
今週の週刊現代では、ロシア通の評論家・佐藤優氏が『全情勢分析 ロシア・ウクライナ戦争正しい理解の仕方 日本人は何もわかっていない 世界が笑っている日本の「ゼレンスキー礼賛」』と銘打って、似た趣旨の巻頭記事を書いている。結局のところ核戦争の脅威がある限り、ロシアの完全敗北はなく、そうである以上、両国は即時停戦をし、領土問題は国連の監視下で住民投票により決着すべきである、という趣旨だ。
その昔、代議士の鈴木宗男氏(現維新)とタッグを組み、「外務省のラスプーチン」と呼ばれた佐藤氏らしく、国会でただひとり即時停戦を説く鈴木氏と相通ずる主張だが、問題は彼らの考えが中立的・客観的な動機に根差すのか、それともロシアへのシンパシーゆえのスタンスか、その辺の判別がつきにくいことだ。ただひとつ、言えることは第三国の人間として、ウクライナの民意に陰りが見えた場合、無責任に戦争継続を煽るべきではないということだ。ウクライナの反転攻勢が予想以上の抵抗に遭っている、という報道を見るにつけ、もしここでも突破口が開けなかったなら……と、そんなことをふと感じた。
10日ほど前、政権寄りの論調で徹底するあの読売まで、社説で「保険証廃止の凍結を」と訴えて話題になったマイナンバー法案だが、週刊誌の世界も政権への批判一色だ。週刊新潮はトップ記事で『もうやめよう「河野太郎」が引き込む「マイナカード地獄」』という特集を組み、サンデー毎日は『荻原博子が徹底追及 マイナンバー改正法はただちに撤回するべきだ!』、週刊文春も『マイナカード ミス続出の団体は天下りの巣窟』といった具合だが、岸田政権に方針を見直す気配はさらさらない。
それもこれも維新と国民「ゆ党勢力」による政権すり寄りと、立憲・共産など野党勢力の無力ゆえのことだ。LGBT法にしても改正入管法にしても、信じがたいほどボロボロの中身なのに、この「盤石の構図」によりポンコツ法案が次々成立した。この国の劣化をひしひしと感じる。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。