ロシアの傭兵組織ワグネルを率いるプリゴジン氏が自軍を北上させ、モスクワに向かおうとした「プリゴジンの乱」は日本時間25日(日)未明、突然の進軍中止発表であっけなく終息した。木曜日発売の週刊文春・週刊新潮でも締め切りに近いタイミングだったため、今週号の扱いは申し訳程度。各誌とも来週号でそれなりに報道する可能性はあるものの、「乱」そのものが不発だったこともあり、取材体力のない多くの週刊誌はそれを口実に、この件を黙殺してしまうのではないか、と気がかりだ。


 文春も新潮もとりあえずワイド特集の1本に短い記事を突っ込んだ。文春記事は『プーチン プリコジンの乱でバレたアキレス腱』。朝日新聞元モスクワ支局長・駒木明義氏による「プーチン大統領も相当焦っているように見えた」という解説と筑波大・中村逸郎名誉教授の「SNSではプリコジン氏の“次の一手”に期待する声も上がっている」というコメントで話をつないでいる。新潮のほうは『「プリコジン」に暗殺指令 「ワグネル」反乱で見えた「プーチン」の終焉』。匿名の「外報部デスク」のほか、防衛研究所の兵頭慎治氏及び拓殖大特任教授・名越健郎氏という、こちらも情報番組でお馴染みの顔ぶれのコメントを合わせ、ロシア政情の不安定化を指摘する記事に仕立てている。


 問題はこの手の「つなぎ記事」をドタバタでつくる一方で、土地勘のある取材者をロシア(もしくはベラルーシ)に飛ばすという、ひと昔前なら「定石だった手当て」をしているかどうかだ。ワグネルの部隊はすでに撤収して「現場」はなく、ベラルーシでキャンプの設営風景を見たところで、ワグネル上層部の思いは知り得ない。あと思い浮かぶのは、プリコジンに声援を送っていた南部の住民から「政府への本音」を拾うことぐらいか。いずれにせよインパクトは弱い。


 だとしても、以前の文春なら間違いなく「とりあえず行ってくれ」と取材者を送っていた。たとえば2000年代に私が南米をフィールドにしていた時期、日韓W杯でエクアドル人審判の「韓国びいき判定」が騒ぎになるや否や、「とにかく不正を暴いてくれ」との無茶ぶりで急遽エクアドル入りさせられた。右も左もわからない国だったが、それでも2~3週、ジタバタ情報を集めると、疑惑の審判が過去「トンデモ判定」を次々やらかした人だったことを報じることができた。別件では、いくらあがいても情報がなく、空振りで引き揚げた海外取材もある(それでも「お疲れさま代」の労賃と必要経費は出してくれた)。


 何にせよ、今回のロシアの一件は世界を揺るがしたトップニュースである。騒動の「余震」もまだあるかもしれない。とにかく2~3週、現地で取材者を粘らせれば、スクープ記事はとれなくても、それなりの報道はできるはずだ。節約、節約で萎縮せず、何とかそういった現場重視のスタンスを失わないでほしい。無茶ぶりの突撃をさせなければ、それに応え得る取材者も育たないのだ。


 今週の文春のワイドには『「週刊現代」若手決起 講談社常務が暴言で辞任した』という記事もあった。記事によれば、「小学生レベルだ」「頭が悪い」などと常々編集部員をなじる編集長及びその上司の役員がいて、役員のほうの人物が編集部員との面談で発した暴言が発覚・問題化したとのこと。かと言って最近の誌面を眺めても「よくぞここまで取材したものだ」と、仕事上の無茶ぶりをうかがわせる記事は見当たらない。誌面の質とは無関係、単純に言葉遣いがひどいだけのパワハラ問題なら、部外者にはぶっちゃけどうでもいい。どうせ暴君になるのなら「濃密な取材」に向け、部員に圧をかけてほしい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。