不倫スキャンダル等のゴシップ記事はたいていの場合、タイトルを読み飛ばすだけで済ませている。それ以上の興味が湧くことがほとんどないからだ。週刊文春が過去数週間、追及を続けてきた木原誠二・官房副長官の「愛人・隠し子問題」も、そんな感じで「眺めていた」だけなのだが、関連報道が新局面を迎えたと思われる今週号の記事に限っては、合計8ページにも及ぶ長文を食い入るように熟読した。


 文春オンラインが雑誌発売日直前に配信した『「マスコミ史上稀に見る深刻な人権侵害」木原誠二官房副長官が「週刊文春」記事を巡り文藝春秋社を刑事告訴へ』という記事が気になったためだ。民事で雑誌を訴えるのでなく、刑事告発とはただごとではない。しかも不倫云々の報道を「史上稀にみる深刻な人権侵害」とまで言うのは、あまりに大仰だ。そんな木原氏側の強硬姿勢を見て「尋常ならざる雰囲気」を感じたのだ。


 読んでみると、今週の記事はゴシップ報道の域をはるかに超えていた。取材内容に瑕疵がないとするならば、近年まれに見るディープな調査報道である。『岸田最側近木原副長官に衝撃音声「俺がいないと妻がすぐ連行される」』。タイトルを見ただけでは中身が判然としないのだが、その内容をひと言で言うならば、有力政治家による警察への圧力、もしくは警察内部の忖度によって捜査が打ち切られた「政治家夫人による殺人疑惑」を暴いた記事なのだ。まるでテレビの2時間ドラマではないか、と言いたくなるほどにショッキングな話である。


 疑惑の人物は副長官の妻の女性。彼女がまだ木原氏と再婚する前の2006年4月、当時の夫だった男性が彼女の就寝中、自宅の隣室で怪死する出来事があった。喉元にナイフが刺さっての失血死。警察は当初これを、この前夫本人の覚醒剤乱用による自殺と見立てたが、10年余りを経て、警視庁内部の事件見直しで改めて傷口の分析などをした結果、自殺とは考えにくい状況が確認され、さらには06年当時、彼女と親密な関係にあった男友達が事件直後、現場に呼び出され、彼女自身から「夫婦喧嘩の末殺害してしまった」と明かされていたことを供述したというのである。


 警察が再捜査に踏み切った2018年当時、女性はすでに木原氏と再婚していたが、警察は夫婦それぞれを複数回事情聴取、しかし約ひと月して捜査は事実上打ち切られてしまう。一貫して男性の死を不審に思っていた彼の父親にも、そのことは婉曲に伝えられた。文春取材班が10人を超す捜査員を訪ね歩いてみたところ、複数の人物から「女性の配偶者が有力政治家のため、捜査のハードルが上がってしまった」と、捜査中断の内実が明かされたという。


 記事を読む限り、取材は実に丹念に行われている。遺体の第1発見者で、男性の死に不信を抱き続けている前述した父親、遺体がまだ横たわっている現場に呼び出され、死亡男性の妻(現・木原夫人)から「殺してしまった」と打ち明けられたという男友達、木原氏自身から夫人の元夫の「不審死事件」について聞かされた木原氏の愛人、さらには複数の捜査員などから文春は克明な証言を集めている。


 この件で思い出されるのは、ジャーナリスト伊藤詩織さんへの準強制性交疑惑で、逮捕状まで発行されていた安倍晋三氏評伝本の著者・山口敬之氏が、当時の警視庁刑事部長の「ツルのひと声」で不問に付されたという、あの1件のことだ。木原氏は文春記事を刑事告訴することで、警視庁に事実上「さらなる圧」をかけたことになる。警察上層部は今回もまた、権力中枢に忖度し、木原夫人への捜査そのものを公然と「なかったこと・事実無根の話」にしてしまうのか。心配なことに、他メディアの「後追い報道」はまだどこからも出て来ない。おそらく警察内部では厳しい緘口令が出て、裏付け取材は容易ではないだろうが、ことは殺人疑惑である。政権へのビビりや忖度で見て見ぬふりをすることが、許されることではない。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。