中央アジアの旧ソ連諸国、イランやトルコとその周辺国、また東南アジアのインドネシアやマレーシアは、イスラム教信者が多い地域である。イスラム教にはたくさん宗派があって、習慣や規則もちょっとずつ異なっている。日本に居て、新聞やテレビの報道から得られる情報によれば、イスラム教信者は、アルコール飲料や豚由来の物品の飲食や使用はタブーで、男女の区別が厳格、女性は髪の毛と体のラインが外に見える服装はダメで、男女ともに毎日最低でも5回はアラーの神に対する礼拝を欠かしてはいけないし、その礼拝は、正しくメッカの方角を拝することができる衆人環視ではない清潔な場所で、手足口を綺麗な水で清めてから行う、など、戒律がいろいろあることが知られている。

 筆者がこれまで調査で訪問した地域は、イスラム教信者が半分以上というところがとても多いのだが、そういうところでも、なんだか温度差があった。


 例えば、イスラム教徒は飲酒は厳禁のはずだが、中央アジアの遊牧民が多い地域では、外国人の珍しい客が一緒ならみんなで飲酒が許されるとか、イスラム教徒であっても外国に滞在中は、1日の礼拝回数は5回でなくてもいいという解釈だった。だから、イスラム教寺院のブルーモスクが有名な中央アジアのウズベキスタンでも、我々の現地調査中の酒にまつわるエピソードがいくつもあるし、それが現地で異端視されることもなかった。また、地方に車で数泊の調査旅行に出た際に、礼拝の時間だから、といって車を止めて礼拝を始めるということも、中央アジアではなかった。ロシア人が相当量出入りしているからか、豚肉製品のハムやソーセージも、市場に行けば並んでいたし、いろんな意味で、ゆるいミックス、の感覚の地域だった。


 一方、インドネシアでは、観光客がよほど多く居る地域でないとアルコール飲料が飲食店や商店に存在するということはなく、現地調査に出かければ、1日5回の礼拝時間付近になると、どんな小さな村にでもあるモスクを探して車を寄せて、20〜30分ほどかけてお祈りの時をもつ。どうしてもモスクに立ち寄れなかった時は、食事に立ち寄るところに、これまた必ず設置されているお祈り場で礼拝する。市場にも食堂にも、豚由来のものは存在していなかった。


イランにて


インドネシアにて



ウズベキスタンにて


 女性の服装や行動制限についても地域差は大きく、最も厳格だったのは、イラン。今から20年近く前の話ではあるが、そこに向かう国際線の飛行機の中で、イラン上空にさしかかろうとするところでアナウンスが入り、女性は国籍も信条も関係なく、全員、イスラム教のしきたりに従った身支度を整えるよう強要された。スカーフは、当然、搭乗前に準備しているはず、という流れである。服装も、ウエストやバストの女性特有のラインが外から見て丸わかりのものはダメで、寸胴のこけしのような服装が推奨される。筆者は、助手時代に住んでいた所の近くの、高齢者を主たる客層とする洋品店さんの店先でみつけた、ベージュ色のおしゃれレインコートを持っていったのだが、これが大当たりで、イランの現地研究者から、「まるで、イランの市場で買った服みたい」と賞された。朝から気温42度の街中を、このレインコート(当然、長袖、裾は膝より下)と、頭から首の下までをすっぽり覆うヘジャブ(スカーフの端を被りやすく脱げにくいように縫い合わせたもの)を着用して歩き廻るのである。陽が高い日中は、徒歩で外出するのは危険な感じである。ちなみに、このおしゃれレインコートは、今も春秋の肌寒い日のコートとして重宝している。


 インドネシアもイランとよく似た状況だが、非イスラム教信者に同調することを強要はしない。もともと、キリスト教や自然崇拝の宗教など、たくさんの神様が共存している社会だからだろう、多様性をそのまま許容しているのである。でも、女性のスカーフ丈が一番長くて、顔の周りにぴったり巻きつけてまち針できゅっと止めるやり方は、髪の毛があちこちからはみ出していてもお構いなしの中央アジアや、短め丈のヘジャブから前髪が少々はみ出していてもあまり文句を言わないイランと違って、インドネシアが最も厳格かもしれない。


 イスラム教信者の女性たちの、髪の毛と体型を隠す装束は、家庭の外での装束で、親しい女性だけでいる場合や、自宅の中に入れば、Tシャツにラフなパンツでいたりするらしい。らしい、というのは、筆者は同行の女性現地研究者の自宅に招かれることは多くても、残念ながら、ラフな格好の彼女らを見たことがほとんどない、のである。それは、自宅の中でも、男性の来客がいる時や来客が女性であっても目上の人の場合は、女性陣は外にいる時と同じ装束でいなければならない、という決まりがあるからである。筆者が現地調査に出かける時、イランやインドネシアで同行してくれた女性現地研究者は、日本に彼女らが留学していた時に、研究や生活指導の面で筆者がメンターであった、という関係が多く、筆者は先生 という位置付けになるのである。


 でも、ちらりと垣間見たヘジャブやスカーフの下の彼女らの黒髪は綺麗に手入れされていて長く、装束がなかったら、まったく別人にも見えてしまうかもしれない、と思った。と同時に、ヘジャブにレインコート姿のイランでの自分の姿は、なんだか学園祭の喜劇に出てくる怪しい人Aみたいだなあ、と思った次第である。


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。元京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けば京都大学一筋。研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれた。途上国から先進国まで海外経験は豊富。教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多かった。現国立医薬品食品衛生研究所生薬部部長。