(1)『源氏物語』もおもしろいが『新猿楽記』もおもしろい

 藤原不比等(659~720)の男子4人、いわゆる藤原4兄弟は、それぞれ南家・北家・式家・京家を興した。南家、京家は、すでに奈良時代末にはパッとしていなかった。式家は平安時代初期には権力を左右する位置にあったが、薬子(くすこ)の乱(810年)によって力を失い、代わって北家が台頭し、藤原北家の摂関政治に入っていきました。


 藤原明衡(あきひら、989?~1066)は、藤原式家の人物です。時代は、藤原北家の摂関政治の時代となっていました。したがって、藤原明衡がいかに優秀であっても、政治的な出世は無理で、政治以外の分野で活躍するしかなかった。藤原明衡は、藤原式家を儒学の家として再構築したと評価されるのではないでしょうか。とは言っても、ほとんど大半の人は藤原明衡を知りません。


 なお、余談ですが、「薬子の乱」について。


 藤原薬子(?~810)は、藤原式家出身の女官です。彼女は、宮中で大スキャンダルを起こします。お相手は、後に平城天皇(→上皇)になった人物です。スキャンダルだけでなく、平城上皇と嵯峨天皇が対立し、「二所朝廷」にまで激化しました。彼女がその元凶です。悪女・美魔女・妖婦の代表格です。でも、最近では、薬子の役割は、さほどではない、と言われ出し、「薬子の変」ではなく、「平城太上天皇の変」とか「弘仁元年の政変」とか呼ぶ人も出てきました。なんか、味気ないなぁ~、やっぱり、クレオパトラのように、乱の張本人であってほしいなぁ~。


 本筋の藤原明衡のことですが、本人の経歴、業績よりも、なによりも、なによりも、彼の著作『新猿楽記』を読んでほしいと思います。


 王朝文化の代表は『源氏物語』です。エリート、セレブの中のトップクラスの人たちの理想的な色恋です。本当に面白いですね。比較すると、『新猿楽記』は、庶民に近い人々の世俗的出来事です。理想的な色恋ではありません。「理想じゃない、現実は、これなんです!」という藤原明衡の声が聞こえてきそうです。


 しかも、説明・解説を読まなくとも、読めば「おもしろい、メチャおもしろい」のであります。ひょっとしたら、お笑いタレント養成講習会での教科書になっているのではないか、とさえ思います。


 そんなことで、とにもかくにも『新猿楽記』を読んでほしいと思います。


(2)『新猿楽記 序』の前半


 漢文なので、現代訳に私の注釈を※印で加えてあります。


 予は二十数年以来、東の京(左京)、西の京(右京)をずっと観てきたが、今夜の見物ばかりの事は、古今において未だ無かった。


※今夜の猿楽は、未だかつてないほどおもしろかった。以下、その内容がズラリと続きます。


 なかんずく、咒師(すし)、儒侏(ひきうと)舞、田楽、傀儡子(くぐつまはし)、唐術、品玉、輪鼓(りうご)、八玉……


※咒師(すし)=「咒」は「呪」と同じで、「のろう、まじなう」の意味。咒師は、本来は密教の祈願業法をなす「法咒師」であった。それをおもしろおかしく発展させたものが「猿楽咒師」です。「超真面目な祈願動作」と「滑稽動作」をミックスしたのが「猿楽咒師」と推測しますが、実際のものは、想像を巡らすばかりです。


※儒侏(ひきうと)舞=侏儒はこびと。本物の侏儒の舞なのか、侏儒の真似をした舞なのか。


※田楽=派手な衣装を着た集団舞踊。


※傀儡子(くぐつまはし)=放浪芸人集団。主に、人形を操りながら歌を唄う。人形操り以外にも、曲芸や幻術で客を喜ばせる、女は遊女にもなったりする。


※唐術=中国・朝鮮から伝わった奇術・雑伎一般。その中の弄剣(ろうけん)・弄玉(ろうぎょく)が有名。空中に短剣や玉を投げて、弄(もてあそ)ぶ。呑剣・呑火も有名。


※品玉=弄玉(ろうぎょく)と類似の芸であろう。


※輪鼓(りうご)=中程にくびれがある小さい鼓を糸の上でくるくる回したり、空中に放り投げたりする芸。


※八玉=弄玉(ろうぎょく)の一種で、8つの玉を自在に操る。6つの玉の場合は、「六玉」という。今でも流行っています。


 独り相撲、独り双六(すごろく)、骨無し芸、骨有り芸、


※独り相撲=2人でする相撲を独りでする芸。最後は大袈裟に負ける。


※独り双六=やはり2人でする双六を独りでする芸。独り相撲は容易に想像できますが、独り双六は、今ひとつピンとこない。サイコロの目によって、大袈裟に喜んだり、ガッカリしたりするだけで、お客は拍手するのかな……。


※骨無し芸=ふにゃふにゃの動作をする芸。


※骨有り芸=関節をゴツゴツさせながら動作をする芸。


 延動大領が腰支(こしはせ)、蝦(えび)漉(すき)舎人が足仕ひ、氷上専當が取袴(とりはかま)、山城太御が指扇(さしあふぎ)、


※延動大領が腰支(こしはせ)=普段は威張っている大領(郡内の監督役職)が、国司など上司が来ると、腰支(こしはせ、腰つき)を延ばしたり動かしたりふにゃふにゃして、へつらう仕草をまねて笑いをとる。


※蝦(えび)漉(すき)舎人が足仕ひ=舎人とは貴族の屋敷の雑用職員。収入が少ないので、頻繁に、エビ漉(すき)、つまりエビを取りに行っていた。その足使いが滑稽で笑いをとった。「ドジョウすくい」のような演技。現代でもエビ取り芸をすれば、爆笑間違いなし。


※氷上専當が取袴(とりはかま)=「氷上」(ひがみ)は古代の氏族。「専當」は下級役人。氷上なる下級役人が、役人風をふかして女を寝取ったが、ばれそうになったので袴を持って逃げる様子の芸。


※山城太御が指扇(さしあふぎ)=「御」は女性のこと。「太」(=大)は、第一の意味。「太御」とは、第一番目のお姉さん。要するに、年増の女性。山城の年増の厚化粧のお姉さんが、恥ずかしそうに、扇で顔を隠す仕草で笑いをとる芸。


 琵琶法師が物語、千秋万歳が酒禱(さかほがひ)、飽腹鼓の胸骨、蟷蜋(いもしり、かまきり)舞の頸筋(くびすぢ)、福廣の聖が袈裟求め、妙高の尼が襁褓(むつき)乞ひ、刑勾當(こうたう)が面現、早職事が皮笛、目舞の老翁體(からだ)、巫遊(かんなぎあそび)の気装顔、京童の虚佐礼、東人の初京上り、


※琵琶法師が物語=琵琶法師は平安中期に登場した。


※千秋万歳が酒禱(さかほがひ)=「禱」は、「祈」の旧字。正月に、一軒一軒廻って寿詞を詠い舞う芸人。昭和30年代頃までは、よく見かけました。


※飽腹鼓の胸骨=満腹で腹鼓をたたいて舞う。腹は膨らんでいるが、胸はあばら骨が見える。


※蟷蜋(いもしり、かまきり)舞の頸筋(くびすぢ)=かまきりを真似て舞う。


※福廣の聖が袈裟求め=福徳広大な聖は、そんなに困窮していないのに、袈裟を紛失して袈裟を買うために、喜捨を乞うて廻っている、その矛盾を滑稽に演じたのだろう。


※妙高の尼が襁褓(むつき)乞ひ=「襁褓」(むつき)とは、赤ちゃんのおしめ、おむつです。高名な尼様が赤ちゃんのおしめを乞い求めるとは、これいかに。表面上の評判と真実の姿は、往々にして真逆の場合があり、それをおもしろおかしい寸劇にしたのだろう。


 刑勾當(こうたう)が面(おもて)現=「勾當」は、いわば事務系役人です。「刑」は古代日本の部民なのか、律令時代の刑部省なのか、わからない。面(おもて、顔)を出してはいけない職務にもかかわらず、面(顔)を出してしまって、おろおろする芸。


※早職事が皮笛=「皮笛」は「口笛」のこと。「職事」は役人のこと。あわてものの役人が、笛の役にもかかわらず笛を忘れて口笛でごまかす。


※目舞の老翁體(からだ)=老楽師は、老ゆえに間違いをする。それを滑稽に演じるのであろう。


※巫遊(かんなぎあそび)の気装顔=「巫女」は神に仕える。「巫遊」は遊女巫女です。遊女巫女が男を引き寄せるため顔にお化粧をする様子の芸。


※京童の虚佐礼=京のチンピラ集団がしている無作法をお笑い寸劇にしたのだろう。


※東人の初京上り=東国の田舎から初めて京に来て、おろおろ。


 いわんや、拍子をとる猿楽一座の男達の興奮した様子、公演の流れを統括する猿楽一座のリーダーの熱気(現代なら名司会者)、すべて猿楽と呼ばれる芸だ。馬鹿馬鹿しい言葉、腸(はらわた)がちぎれ、おとがい(あご)がはずれるほど笑いこけた。


※拍子をとる猿楽一座の男達の興奮した様子=猿楽一座には楽団がいますが、それ以外にも、手拍子・掛け声の男達がいました。


 現代のお笑いと、そっくり同じですね。


(3)『新猿楽記 序』の後半


 そもそも、猿楽といっても、上下があって同じではない。論じてみますので、わきまえられたい。


 百太丸は、「高く神妙の思いを振るって、独り古今の間を歩む」。


※『古今和歌集』の真名序に柿本人麻呂を評した同文があります。柿本人麻呂は山部赤人とともに「歌聖」です。藤原明衡は、百太丸を柿本人麻呂と同格に評価しています。また、宇佐八幡、出雲大社、八坂神社などでは、百太丸神が祭られているそうです。遊女、傀儡師がお詣りするとされていた。


 仁南は、常に散楽の場に出て、必ず衆人の喝采を受けている。

 定縁は、鳴呼の神である。その格好を見ただけで、観客は腹をよじって笑い出す。

 形能は、猿楽の仙人です。未だ一言も出していないのに、万人があごが外れるほど笑う。


※「散楽」と「猿楽」は、同じと理解してください。


※「鳴呼」とは、馬鹿馬鹿しい話、滑稽な話の意味です。要するに、猿楽です。登場しただけで笑いだす…そんな落語家がいましたね。


※「定縁」「形能」の説明を読むと、昔の林家三平を思い出します。登場するや、観客は爆笑しました。


 あがたの井戸(地名)の先生は、姿形は猿楽を心得ているが、その言葉づかいがいやしくて、時々失言をする。

 世尊寺の堂達は、その天性はあるものの、言葉が多すぎて、人々はあくびをする。


※僧の中には、猿楽師になった者もいた。


 坂上の菊正は、初めはダメだが、終わりになるにつれて盛り上がる。

 戻橋の徳高は、最初はにぎやかだが、最後のシメの格好いい言葉がない。


※「戻橋」=一条堀河の戻橋。多くの伝説があり、とりわけ安倍清明の伝説が有名。


 大原の菊武は、猿楽の道をそもそも知らない。自分独りで笑って、ファンがいない。

 小野の福丸は、格好からして非人である。まったくの乞食である。猿楽師と同列すべきでない。

 近代、世間の耳目を驚かす猿楽師は、わずかに四、五人しかいない。


※藤原明衡が現代にタイムスリップしたら、お笑い芸人をどう評価するかな。


 こうしたわけで、猿楽興行が終わると、熱狂のため大変な騒ぎになった。道俗男女、貴賤上下を問わず、ひいきの芸人に被物(ひぶつ)・禄物(ろくもつ)を雨のように投げ、雲のように積まれた。

 そのため、100人の中9人は裸になって帰った。なかには、犬のように四つん這いになって帰る者もいた。


※被物(ひぶつ)=訓読みは「かずきもの」、衣服の意味。


※禄物(ろくもつ)=位階別に支給された物。


※犬のように四つん這いになって帰る者もいた=熱狂のあまり、平時ではあり得ないことが流行ったのかもしれない。猿楽の中に、犬のまねをする寸劇があって、大ブレイクしたのかもしれない。


 その後朝に天が曇り雨が降った。藁(わら)を結んで蓑(みの)にし、薦(こも)を割いて笠とした。あるいは、袴をたくし上げて、猿踵(さるかかと)で歩んだ。あるいは、袙(あこめ、内着の意味)をかついで、鶴脛(つるはぎ)となって歩いた。

 畳を笠がわりしようと頭にいただこうとして、ふらついて深い泥に倒れてしまう者もいれば、筵(むしろ)を着て堀河に落ちる者もいた。

 そうした光景を見て、嘲り、ののしる人、その数は数えきれないほどであった。

 

 さて、猿楽見物人の中に、西の京(右京)の右衛門尉なる者がいた。一家をあげて猿楽見物に集まった。聞くところによると、妻が3人、娘が16人、男子が8~9人ということです。各人の善悪はまちまちで、一人ひとりの能力も同じではない。


 (これで、「序」が終わり、「本編」において、右衛門尉一家の一人ひとりの善悪、能力などが書かれます)


(4)猿楽とは


 右衛門尉は下級役人です。本編では、右衛門尉の「妻3人+娘16人+男子9人」の合計28人が順々に紹介されています。娘16人に関しては、大半が、その夫の紹介です。『新猿楽記』に書かれた右衛門尉の子供たちが、現実に存在したかどうか。全員が、良きにしろ悪しきにしろ、一流人物なので、フィクションです。


 藤原明衡は、右衛門尉一家で京の庶民を代表させたのだと思われます。右衛門尉の立場は、宮中の上流階級の雑用をこなす下級役人です。それゆえ、庶民との交流がかかせません。藤原明衡は、「上流階級のきれいごと、理想ではない、庶民のドロドロ世界を」を書き記したかったのでしょう。


「序」では、猿楽が紹介されています。「猿楽が能楽に進化」という先入観があるため、猿楽に高尚なイメージを持ちがちですが、誤りです。猿楽は、馬鹿話、滑稽なお笑い寸劇です。今日の「お笑い芸」と同じです。平安時代も現代も、変わりなしで、「お笑い芸」は大受けです。「笑い」と無縁な、「品玉」や「八玉」など奇術・手品もあります。


 観客に「奇術・手品」だけを見せて驚嘆させることが基本ですが、それに「笑い」をプラスさせるものもあります。いわば、「奇術・手品+猿楽」です。一見すると、『新猿楽記』には、猿楽と無縁な芸も紹介されていますが、全体を通じて、興奮の爆笑というわけで、個々の芸で、これは猿楽、あれは猿楽でない、と分類するのは野暮な評論というものでしょう。


 右衛門尉一家が見物した猿楽公演は、稲荷祭パレードと推測されています。御神輿が中心ですが、その前後は猿楽一座が取り仕切っていたと思われます。パレードの最初と最後の場面、途中の数ヵ所の空地で芸を披露する。観客は、芸を間近で見られる場所を確保します。芸が実演される空地の周辺の家屋を貸し切って、一家全員で見物することもありました。


 稲荷祭では、お賽銭を御神輿に投げる風習がありました。そうしないと、ご利益がないと信じられていました。係員がお賽銭を拾い集めるのですが、乞食が大勢集まって拾うことが普通で、「乞食祭」とも言われました。貨幣が未発達の時代にあっては、被物(ひぶつ)・禄物(ろくもつ)を投げたのでしょう。御神輿だけでなく、人気猿楽師にも、お賽銭・被物・禄物を投げつけたのでしょう。


「序」は、題名『新猿楽記』の「猿楽」の解説ですが、本編は「猿楽」を離れて、庶民の紹介です。本編は、あっさり言えば「猿楽」とは関係がありませんので、全文ではなく、各人を超簡単にまとめて紹介いたしておきます。


(5)本編の人物紹介


➀第一の本妻。右衛門尉は40歳。本妻は60歳を過ぎているが、セックスを求めることに熱中している。愚かなことが、露骨に記されています。


②次の妻は、右衛門尉と同年。良妻である。良妻の内容が記されています。


③第三の妾は、豪族出身の18歳。右衛門尉は、この女にベタ惚れ。ベタ惚れの様子が記されています。


④太君(長女)の夫は、ばくち打ち。一流のばくち打ちの気性がわかります。


⑤中の君(次女)の夫は、天下一の武者。武者はかくあるべし、ということか。


⑥三の君の夫は、大百姓。税や各種課役(かえき)を律儀に果たしている。


⑦四の娘は巫女。すばらしい巫女の典型です。夫は鍛冶・鋳物師で、その道の名人である。


⑧五の君の夫は、儒学のすぐれた学生である。他の学生は見習うべし、といった感じ。


⑨六の君の夫は、有名な相撲取り。この頃、大関・関脇の名があります。


⑩七の娘は、食い意地、酒好きである。好物の奇妙な料理がズラリと書いてあるので、料理人はご参考に。その夫は、牛馬を使った重労働の運送業である。妻のため貧乏。


⑪八の娘の夫は、熟達の大工。


⑫九の娘の夫は、すごい名医。四百四病の根源を探る。仏教用語で、地・水・火・風の4つの基本元素が不調なとき、それぞれ101の病が生ずる。4×101=404、すべての病。「四百四病のほか」とは、「恋わずらい」をいう。


⑬十の君の夫は、すぐれた陰陽師。


⑭十一の君の恋人は、管弦・和歌の上手。


⑮十二の娘は、滅茶美女で、多くの恋人がいる。


⑯十三の娘は、ひどい醜女(しこめ)。容姿だけでなく、すべてにおいて欠陥だらけである。なぜか、極貧の炭売り、薪売りの老人の記述が挿入されている。なんらかの編集ミスで紛れたのかな。


⑰十四の娘の夫は、不調法なアホ馬鹿男であるが、巨根の持主である。この男を相手にできる女はいなかったが、十四の娘は巨陰門で、調和した。


⑱十五の娘は、仏道を求めて修行している。


⑲十六の娘は、遊女である。すこぶる美人で、昼夜売春をしている。


⑳太郎は、名筆家である。その字は千金に値する。


㉑次郎は、一生不犯の大修験者で、身・口・意の三業が相応する真言の師である。


㉒三郎は、木製の家具・道具をつくる一流の職人である。


㉓四郎は、受領(国司)に仕える優秀な役人である。


㉔五郎は、天台宗の学生で、とても優秀な僧である。


㉕六の若者は、天才的な絵師である。


㉖七郎は、仏像をつくる仏師である。


㉗八郎は、商人の親方である。


㉘九の少年は、雅楽寮の人の養子になった。舞も楽器も巧である。姿がとても美しいので、花代が投げられる。


(6)国家試験に抵抗


 藤原明衡の略歴を記載しておきます。


 冒頭に書きましたように、藤原式家は、810年の薬子の乱によって、失墜しました。その後、出世した人物もいましたが、基本的に鳴かず飛ばずの150年でした。円融天皇(64代、在位969~984)の時期、藤原敦信(あつのぶ)が文章生になってから、藤原式家は儒学・漢文分野で存在感を示すようになったようだ。その子が、藤原明衡です。


 当時、学問で出世するには、「対策」という国家試験に合格しなければならなかった。しかし、「対策」は、すでに形骸化、不正が横行していたので、藤原明衡はバカバカしいので受験しなかった。「対策」の試験問題が漏洩することもあり、藤原明衡自身も受験生に問題をもらしている。


 しかし、官僚制度上、バカバカしくても「対策」に合格していないと、なにかと不都合で、1042年、54歳にして合格した。その結果、「正五位下」となった。当時は、「正五位下」以上が昇殿を許される「殿上人」であった。昇殿を許されない者は「地下」(ぢげ)と呼ばれ、歴然とした差があった。


 だが、その後も官職ではパッとした昇進はなかったが、やっと1060年、72歳で文章博士、次いで東宮学士、大学頭の学者官職を得た。


 1066年、78歳で死去。


 藤原明衡は藤原式家を儒学の家として再構築した。むろん、多くの漢詩を残した。また、模範漢詩文集『本朝文粋(もんずい)』、模範文例集『明衡往来』を編纂した。それらは、今や、見向きもされません。でも、私は、最大功績は『新猿楽記』だと思います。今でも、そっくりそのまま通用します。とりわけ、お笑い関係者の皆様、どうか、『新猿楽記』を読んでください。

 

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太田哲二(おおたてつじ

中央大学法学部・大学院卒。杉並区議会議員を10期務める傍ら著述業をこなす。お金と福祉の勉強会代表。『「世帯分離」で家計を守る』(中央経済社)、『住民税非課税制度活用術』(緑風出版)など著書多数。