1972年、ミュンヘン五輪での金メダル獲得で、一躍国内のメジャー球技となった男子バレー。しかし、旧ソ連と東欧、日本に強豪国が限られた当時の世界地図はその後一変し、日本はやがてイタリア、ブラジル、アメリカ等々の新興勢力に歯が立たなくなってしまう。アジアでも負けるようになる。96年以降、計7回の五輪で日本が出場できたのは、08年北京大会(11位)と開催国だった21年の東京大会(7位)だけ。その昔、「ミュンヘンの金」に感激し、部活動でバレーを選択したオールドファンとしては、そんな日本バレーの弱体化をたまらなく切なく感じていた。


 ところが、5月末に始まった今年の「ネーションズリーグ」(強豪国16チームによる世界大会)では、驚くべきことに日本が予選リーグを2位通過、決勝トーナメントでも初戦に勝ち、4強入りを果たしている(準決勝は日本時間23日未明、決勝・3位決定戦は24日未明に行われる予定)。約半世紀前に比べると、完全にマイナースポーツに転落した日本の男子バレーなのに、黄金期を知らないZ世代から新たな才能が次々と現れてきたのである。


 今週の週刊文春は、そんな日本のバレー界を取り巻くひとつの「変化」に焦点を当てている。『バレーW杯からジャニーズが追放された!』という記事だ。4年に1度、日本で開催されてきた男女のワールドカップでは、とくに男子の実力・人気の低迷を補うため、演出を担当するフジテレビがジャニーズのタレントを「スペシャルサポーター」として、会場で歌や踊りを披露させる方式を続けてきた。しかし今回は、ジャニー喜多川氏の性加害問題がBBCドキュメンタリーで世界中に知られるに至り、記事によれば、ヨーロッパのある参加国から「ジャニーズのアイドルが関わるなら出場を取りやめる」とまで通告されてしまったという。この9月に開かれる大会は「ジャニーズ抜き」で行われる。


 正直、シンプルなスポーツ中継を望む者として、過去30年ほどのドンチャン騒ぎにはウンザリさせられていた。ジャニーズ・アイドルを目当てとする女性ファンが大挙押しかけて、観客動員の支えにはなったのだろうが、純粋な競技ファンとアイドルのファンたちはあまりにも異質だった。しかも、日本チームの試合ごとにある「歌と踊りのショー」は、試合開始を待つ相手チームを無視するかのように、いつもその眼前で行われた。アイドルへの黄色い声援とMCに煽られた「ガンバレ・ニッポン」の大コール。大会のホスト国として、あまりに海外チームに敬意を欠く運営だと苦々しく思っていた。


 ただ、こうしたバレー大会の過剰演出は、ミュンヘンの金の立役者、故松平康隆監督の置き土産と言ってもいい。松平氏は世界一を目指すチーム作りの傍らで、テレビ局と組み男子バレーをブームにした稀代のプロデューサーでもあった。その代表的企画がミュンヘン大会前の約半年間、実写とアニメを組み合わせた代表チームのドキュメンタリードラマ『ミュンヘンへの道』をTBSで放映したことだ。東京五輪の銅、メキシコでの銀のあと日本の男子バレーはいよいよ金を獲る――。本来なら一心不乱にチーム作りをする五輪直前に、そんな盛大な「勝利予告ドキュメンタリー番組」の企画にも関わっていたのだ。もし金メダルを逃していたならば大バッシングを受けたに違いないが、松平氏は「実力と人気」の二兎を追う作戦に、見事に勝ってみせたのだ。


 大古誠司、森田淳吾、横田忠義の長身3選手を「ビッグ3」と名付けたり、最年少の嶋岡健治選手を「プリンス」と呼んでみたり。「人気者づくり」にも奮闘した。前述したように日本バレーの実力は、その後見る影もなく凋落してしまったが、こうした女性ファン目当てのメディア戦術だけは、低迷期にも続けられた。ジャニーズとのタッグもその延長線上のものだった。現在の代表チームは往時とは一変し、フランス人監督のもと地道に修練を積み、古豪復活を果たしかけている。「空騒ぎの演出」でミーハー人気を得ようとする路線を断ち切るには、絶好のタイミングが訪れたと言えるだろう。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。