木原誠二・官房副長官夫婦をめぐる週刊文春の調査報道が凄まじい展開になってきた。今週号のトップは『木原事件 妻の取調官 実名告発18時間』。そう、2018年、警視庁が大がかりに再捜査に乗り出した06年の男性不審死事件で、疑惑の渦中にいた死亡男性の妻(当時)が事件のあと木原氏と再婚、「政権幹部の妻」という立場を得たことがハードルとなり、再捜査は中途半端に打ち切られた――。そんな文春のキャンペーン報道で、昨年定年退職した警視庁捜査一課刑事が実名で証言、これまでの文春報道をほぼ裏付ける形で、捜査チームの内幕を暴露したのである。


 ネット上では今週号発売前日から話題騒然となり、発売日夕方には雑誌が品切れになる店舗もあちこちにあったという。文春取材に当初は対応しなかった佐藤誠というこの元刑事だが、7月13日、露木康浩警察庁長官が「証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」と定例会見で述べたことに憤慨、実情を明らかにする決意を固めたとされている。


「はっきり言うがこれは殺人事件だよ。(略)ところが(我々は)志半ばで(捜査を)中断させられたんだよ。(前号の文春)記事では、捜査員が遺族に『無念を晴らす』と言っていたが、俺だって同じ気持ちだよ」。計13ページにも及ぶこの記事で佐藤氏は、警視庁捜査一課の2つの班、そして大塚署の捜査員を合わせ総勢30~40人という特捜本部並みの体制で木原夫人らの捜査に取り組んだことを明かしている。


 驚くべきことに、佐藤氏らが木原夫人の任意の取り調べを重ねていた18年秋、木原氏と夫人が同じタクシーで警視庁から帰宅、その際の車内のドライブレコーダーに「俺が手をまわしておいたから心配すんな。刑事の話には乗んなよ」と木原氏が妻に語る様子が録画されていたという。また06年の事件当夜、木原夫人(当時は死亡男性の妻)の男友達が、遺体の横たわる現場(彼女の家)に呼び出されたことを捜査チームも文春取材班も直接本人に確認しているが、佐藤氏は同じ夜、この男友達より少し前、もうひとり別の男性がこの家に来て、男性の殺害に手を染めた可能性がある、との「見立て」を示している。文春はこの「2人目の男」も直撃し、事件関与を強く否定されているが、個人情報を一切伏せて記されたこの男は誰なのか、一連の記事を精読する読者には、おぼろげに想像できる書き方がされている。


 佐藤氏は28日、文春本社で他メディアも集めて会見し、さまざまな内情を明かしたが、新聞やテレビが報じたのは同じ日に官房長官が語ったという木原氏の否定談話のほうだった。たとえば朝日新聞は『木原氏めぐる報道「事実無根との説明」松野官房長官』というベタ記事を載せている。文春の調査報道や佐藤氏の証言には踏み込まず、録画があったという圧力発言についてだけ、木原氏の主張を一方的に紹介した。


 これまでの記事をよく読めば、文春キャンペーンの内容は十分にウラ取りを重ねていることが伝わるが、匿名で文春の取材に協力した捜査員たちが、今回の佐藤氏のように公然とそれを語れるかと言えば、クビ覚悟で腹をくくらない限り不可能であろう。事件当夜に駆け付けた夫人の「男友達」も、いつ何時、圧力を受け証言を翻すかもしれない。新聞やテレビが後追いに怖気づいてしまうのは、政権や警察権力が文春記事を本気で潰しにかかったとき、それを跳ねのける「決定打の証拠・証言」がまだないと見るからだ。しかし、もう主要メディアの弱腰を嘆いても仕方がない。他メディアの援護射撃がない以上、事態を打開し得るのは、政権に内閣支持率を心配させるだけの世論の高まりになるかどうかだと考えるべきだろう。


………………………………………………………………

三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。