GWやお盆、年末年始に出る週刊文春の合併号は、読み応えのある特集企画がいつも複数あり、通常号にない重量感が魅力だが、今回に限っては個人的な嗜好とあまりにかけ離れ、斜め読みで眺めただけだった。メイン特集は、8大将棋タイトルに王手をかける藤井聡太七冠にちなみ、『文春将棋ウォーズ』と銘打った将棋関係の企画だ。将棋ファンの読者には喜ばしいだろうが、当方は小学生のころ、トランプ遊びと同じ感覚でまねごとをした程度だ。ド素人の子供同士、どちらかが「王手」の声を発するまで、優勢か劣勢かもわからぬまま、やみくもにコマを奪い合う「ゲーム」だった。
藤井氏という若き天才の台頭以後、一般のニュース番組でも将棋を扱うことが増えたように思う。興味深いのは、対局の内容にはほぼ触れないまま、勝った負けたの結果しか伝えないことだ。あとは対局中の出前やおやつの紹介。どうせほとんどの視聴者は将棋を理解すまい。そんな大前提のもとでの「特集フォーマット」が出来上がっている。これがメジャーリーグなら、大谷翔平選手が敬遠されたとか指の爪が割れたとか、ある程度の野球ファンの視聴を想定しているが、将棋に関しては端から説明を放棄する。それでいて藤井氏があれほど人気者になっているのだから、不思議といえば不思議な話である。
そう言えば、当の棋士たちが書く将棋のエッセイにも「マニアックな対局の内容」には踏み込まない「素人向けの配慮」があるように思う。今回「斜め読み」した特集でも棋士たちの文章、コメントにはそのことが感じられた。これはこれで、見事な表現テクニックだ。そう言えば私自身、元将棋雑誌編集者の作家・大崎善生氏の「将棋ノンフィクション」にのめり込んだ時期がある。『聖の青春』と『将棋の子』の両作品のことだ。盤面の戦いを何も理解できないのに、人生を将棋に傾けた若者の物語にぐいぐい引き込まれた。氏の文章力はそれはもう、迫力に満ちていた。
今回、斜め読みをした範囲で印象に残ったのは、藤井氏をはじめ今の棋士たちはAIを使って将棋の研究をすることが当たり前になっていて、ひと昔前からは様変わりしたということだ。深浦康市九段と木村一基九段による『羽生から藤井へ 棋界の未来』と題した対談には「一つのアイデアの寿命が短くなってきたんです。以前は新手の効果は一週間とされていましたが、今は三十分で対策が出てくる(笑)。これはしんどい時代ですよ」(木村氏)というセリフが登場する。また、棋士の文章に関しては、文春に連載コラムを持つ藤井氏の師・杉本昌隆八段が『杉本流・私の文章術』と題した軽妙な一文を寄せている。
一方、今週の週刊新潮で目を引いたのは『アメフト部“薬物汚染”「林真理子理事長」ですら膿を出し切れない「日大」魔窟に“ドン”の影』という記事だ。今回の事件で問題視されているのは、問題アメフト部員の大麻使用が昨年秋の段階で大学側の知るところとなり、ことし7月には本部職員が部の寮を調査、植物片などを見つけたにもかかわらず、警視庁への報告まで約2週間の「空白」があったという大学の動きの不可解さだ。新潮記事はこうした不透明さの背景に、巨額脱税で逮捕された田中英壽・前理事長の影響力が学内に未だ残存することを指摘する。
8日に記者会見した現理事長の林真理子氏は、一部メディアによる「隠蔽疑惑」という報じられ方に遺憾の意を表明し、事件に対応した副学長の一連の判断を「適切であった」と逆切れ気味に擁護した。今回の新潮記事に林氏個人への批判めいた記述はないものの、会見での様子から推し量れば、おそらくこの記事にも彼女は相当おかんむりのはずだ。文藝春秋社ほど密接な関係ではないとは言え、新潮社も林氏の本は何冊か出している。にもかかわらず「作家タブー」をものともせず、この記事を出したわけである。おそらく水面下ではかなりピリついた空気になっているのではないか。下世話な野次馬根性が刺激される。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。