昔から日本人は「外圧」に弱いとされる。歴史を紐解けば、米ペリー艦隊を契機とした開国と明治維新、敗戦後のGHQによる民主化改革、1980年代のアメリカによる市場開放要求など枚挙に暇がない。
この観点で医療制度改革の論議を見ると、海外の圧力は小さい。むしろ、フリーアクセスや国民皆保険を指して、「日本の医療制度は世界一」という言説が見られる。
だが、昨年11月に公表されたOECD(経済協力開発機構)の報告書では、全人的・継続的なケアを提供するプライマリ・ケアの制度化を促すなど、日本の医療制度を巡る課題を適切に指摘している。
報告書は精神病棟の改革なども指摘しているが、本稿はプライマリ・ケアに関して、報告書の内容を踏まえつつ、日本の医療制度の課題と将来像を考えたい。
◇ プライマリ・ケアの制度化を提唱
OECDの報告書は「スタンダードの引き上げ 評価と提言」というタイトルで、昨年11月に公表された(本稿の末尾にリンク先)。
報告書は日本の医療制度について、「低コストで良好な健康を実現している。平均寿命の長さとともに、医療の質を示す指標の一部はOECD で最高」「(フリーアクセスと専門医の自由標榜制は)利便性と反応性という利点がある」と分析するなど、日本人の自尊心を満たす文言が見られる。
しかし、報告書は以下のように続ける。
「急速な高齢化を考慮すると、予防的及び包括的な高齢者ケアに向けた明確な方向性が必要。生涯を通じて一貫した予防的ケアを提供するプライマリ・ケアが不可欠」。
つまり、世界に類を見ない高齢化社会の到来を踏まえると、全人的・継続的なケアを提供するプライマリ・ケアの導入が欠かせないと指摘したのだ。
さらに、プライマリ・ケアは「1次医療」と呼ばれる通り、プライマリ・ケアの専門医がゲートキーパーとなり、患者の病状や緊急性を判断しながら必要に応じて高度医療を紹介するため、不要な診療行為を抑えられるメリットがある。報告書もプライマリ・ケアの費用抑制効果を期待しているとみられる。
その上で、報告書はプライマリ・ケアの制度化を進める際の施策として、①プライマリ・ケアを専門的に提供できる医師の育成、②患者が指名したプライマリ・ケア専門医に登録するシステムの導入、③情報インフラストラクチャーの整備、④アウトカム評価の導入、⑤支払いにおける人頭割導入—などを列挙した。
確かに日本はプライマリ・ケアの取り組みが遅れている。長らくプライマリ・ケアを提供していた開業医は高齢化しつつあり、国民の「病院志向」「専門医志向」も強まっている。
専門医の育成も後手を踏んだ。厚生省(当時)が1980年代、英国のGPに近い家庭医の創設を検討したが、「官僚統制に繋がる」「医療費削減に使われる」と警戒した当時の日本医師会の反対で頓挫した。
プライマリ・ケア専門医として「総合診療医」の育成が2017年度からスタートするとはいえ、正にOECD報告書は日本の医療制度の弱点を指摘したのだ。
◇ お手本は英国?
報告書が「お手本」としているのは英国のモデルであろう。
良く知られている通り、英国は第2次世界大戦後、間もなくNHS(National Health Service、国民保健サービス)を創設した。NHSではGeneral Practitioner(家庭医、GP)と呼ばれるプライマリ・ケア専門医が住民の健康相談に応じつつ、全人的・継続的なプライマリ・ケアを提供しており、これは報告書の①に相当する。
GPと患者が継続的な関係を形成できる基盤は登録制である。住民はGPの勤務する診療所に登録することが義務付けられているほか、高度な医療を受ける場合、原則としてGPの紹介が必要とされており、この部分は報告書の②に該当する。
英国の場合、国から受け取る診療所の収入の約70%については、日本のような出来高払いではなく、住民の登録者数に比例する人頭払いを採用しており、人頭払いによる収入よりも診療に必要なコストを抑えると、診療所の収入になる。この結果、GPは過度な医療行為を行わないインセンティブを与えられている。ここは報告書の⑤である。
報告書の③〜④についても、英国は体系的に実施している。国がプライマリ・ケアに関する満足度調査を患者に対して毎年実施しているほか、その回答結果を診療所ごとにインターネットで公表している。電子カルテを通じて、個人の病歴や予防接種の実施状況などの結果も管理されている上、診療所の収入の約30%については、予防接種などの取り組みに応じて支払われることで、アウトカムによる評価もなされている。
これらの点を見れば、英国の制度がOECD報告書のベースになっているのは明らかである。
さらに、こうしたプライマリ・ケアの制度化は英国だけに限らず、世界的な潮流となっている。オランダ、北欧諸国ではGPを中心としたプライマリ・ケアが定着しており、専門医志向が強いとされていたフランス、ドイツも家庭医制度を採用した。
アメリカについても、国民皆保険を目指す「オバマ・ケア」の一環として、プライマリ・ケアを提供する主体として、ACO(Accountable Care Organization)という制度を創設する動きが広がっており、日本だけが取り残されている感は否めない。
医療制度は国民の意識や歴史的な経緯、財政状況などで左右され、改革の方向性や内容も各国で異なる。そのまま海外の事例を「直輸入」することは困難であり、OECDの報告書や各国の事例は一つの参考意見に過ぎない。
しかし、「傍目八目」という言葉がある通り、ヨソ者の方が先を見通せるのも事実である。「世界一」などと自己満足に酔い痴れるのではなく、海外の指摘や事例から学ぶスタンスが重要である。
◇ 報告書は以下のウエブサイト。
丘山 源(おかやま げん)
早稲田大学卒業後、大手メディアで政策プロセスや地方行政の実態を約15年間取材。現在は研究職として、政策立案と制度運用の現場をウオッチしている。