近ごろの若者は――近ごろの老人は――といった読み物は、昔から週刊誌や新聞家庭面の定番の埋め草で、「関係者の話」以外ほとんど根拠の示されない記事も多いのだが、20~30年のスパンで振り返ると、折々の指摘は方向性としてはかなり当たっていて、ゆるっとした世代論や世相記事もまんざら馬鹿にしたものではないとわかる。


 先週から週刊新潮で連載が始まったジャーナリスト・石井光太氏の『コロナ・チルドレン』(初回の見出しは『「スマホ依存」が子供の心を殺す』、2回目は『同じクラスでも名前すら知らない』)、そして週刊SPA!のメイン企画『老親が危ない診断 親の異変を絶対に見逃さない50の方法』の2つを見て改めてそう感じた。


 この後者、タイトル横には「認知症、資産流出、ネトウヨ化、遅咲き恋愛etc.」と総花的に内容の例示があり、特集全体のリードも「年老いた親は常にリスクに晒されている」とふんわり書かれているだけだ。なぜ今、この特集を読まねばならないか――。そういった特集の意味付けはとくにされていない。「どうせ変わり映えしないハウツー記事だろう」。当初はそう決めつけて読んだのだが、途中、「編集部作成」とクレジットされた「日本における認知症の人の将来推計」というグラフがあり、思わず目が留まった。


 それによれば、2012年から20年にかけ、15%から18%と徐々に増えてきた「高齢者に占める認知症発症者の割合」が、2060年には実に34.3%にもなってしまうという。根拠とされるデータは厚労省の推計で、2012年に「7人に1人」だった認知症の高齢者が60年には「3人に1人」になるそうだ。


 各メディアでさんざん報じられてきた話かもしれないが、当方、不勉強でまるで認識せずにいた。高齢化に伴って認知症発症者の「総数」はもちろん増えてゆくはずだが、「人数」でなく「率」のほうがこれほど高くなろうとは、正直、想像もしなかった。ネット検索して見つけた「SOMPO未来研レポート」という専門家の論文を読んでみると、実は欧米の傾向はこれとは逆、認知症の発症はむしろ低下傾向にあるという。日本だけがいったいなぜ――。その理由は「糖尿病の増加、西洋風の食事形式の拡大、運動習慣の欠如」などに見出されるらしい。論文には、社会的活動や知的活動の多寡などの影響もあると説明されていて、とても興味深かった。


 週刊新潮の記事、石井氏の『コロナ・チルドレン』によれば、最近の子供たちの「仲良しグループ」は少し前までの5~6人から2~3人に縮小し、スマホなどのネット視聴時間は長時間化する傾向が著しいという。生身の人間関係にストレスを覚え、ごく少人数の気の合う仲間としか付き合わず、一方でネット空間でのバーチャルな交流に依存する子供が増えている。これと先の認知症レポートを照らし合わせると、「社会的な活動や知的活動」において、現在の子供たちが高齢化する将来には、なおいっそう認知症リスクが高まることになるのだろう。


 そもそも個人的な印象として、本(長い文章)を読まずネットに依存する近年の傾向や今後一気に進むと見込まれるAIの利用拡大は、人間の脳機能の「外部依存」に他ならないと私は思っている。モータリゼーションが始まる前の時代、江戸―大阪を行き来するにせよ、お伊勢参りをするにせよ、人々はその距離を歩くのを当たり前と思っていた。しかし、あの当時の標準的歩行能力は、人々から失われた。同様に、書物まるごとの単位で情報を脳に収め、ものを熟考する習慣の喪失は、人々の言語能力・情報処理力を間違いなく退化させるだろう。目下進行中の情報革命は、この国の「認知症大国化」を必ずや押し進めてしまうように思われてならない。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。