●アシロマ・モラトリアムの価値


 生命倫理は、実は1975年にひとつの転換期を迎えた。前回にも触れたが、68年から73年にかけてDNA研究は米国を中心に飛躍的な進歩を遂げる。遺伝子の解読技術、遺伝子とゲノムの性質の明確化、遺伝子ベクターの開発技術などが明らかにされ、その到達点のひとつとして、組み換えDNA技術を挙げるべきである。


 生命誌研究者の中村桂子氏は、14年にインタビューに答えて、「生命科学を考える立場として、組み換えDNA技術は具体的な研究にとって重要な技術、これをどう考えるかが私にとって重要なテーマとなった」と語っている。


 組み換えDNA技術によって、多細胞生物が扱える新しい生命科学が誕生してきたことが、「私にとって自然観、生命観、人間観をつくることになっていき」、「事実のない技術や倫理であれこれ議論するよりは、社会や倫理を意識しながら研究のありようを考える方が重要だと思い始めた」と中村氏は述べている。科学のうちにある人に、「生命倫理」をより意識させたエポックが組み換えDNA技術だったのである。


●科学者の「仁義」として


 実はこうした考え方のモチベーションとなっているのが「アシロマ・モラトリアム」だ。


 アシロマ・モラトリアムは、若手学者を中心にして、ゲノムを象徴とする「遺伝子工学が人間や、人間の行動のコントロールに対して悪い影響を与える可能性」について、前回触れたドブジャンスキーの懸念に回帰しつつ、当時の若い生物学者、遺伝学者のこの研究に対する倫理的な対応に関する当惑から、75年にスタンフォード大学の近くの場所であるアシロマで行われたディスカッション。学者たちは、組み換えDNA研究を中心に研究のモラトリアムを求めた。


 言葉を代えて言うなら、75年に仲野徹氏が言う「新優生学」の意識化、新たな生命関連科学の人文学的な照応、アプローチというものに、一定の科学者の「仁義」が語られる必要が生まれたということだろう。中村氏は、アシロマ会議の答えは見事だったと、このモラトリアムの歴史的意義を評価している。特に、社会的な問題に具体的に対処し、科学をどう進めるかの方法として、ガイドラインを作成するという「手法」を編み出したことに高い評価を与えている。


 アシロマで英国の分子生物学者、シドニー・ブレナーは、物理学的封じ込め、生物学的封じ込め、人の教育という3本柱を提言、これがアシロマ・モラトリアムの核となって、日本でもガイドラインを策定し、その下で組み換えDNA技術研究を行うという概念が確立されている(識者によってはそれもあまり十分ではないという意見は存在する)。


 80年代、組み換えDNA技術について日本では、市民サイドに否定的な考え方が強かった。生命系科学そのものに対するアレルギーが社会的には非常に強かったと言ってもよい。


 しかし、優生学的アプローチを求める側は権力の上位にあった。むろん、市民には漠然とではあるが「新優生学」への連絡にある種の社会的警戒感が醸成されていたという点では、私たち一般人としては、直観的ではあるが、正常なアラートが鳴っていたとも言える。むしろ、一部の生物系、物理系科学者や官僚、政治家のほうが、「生産性で何でも片づける」正常化バイアスに陥っていたとも言える。


 シリコンバレーへの盲目的な従属的な評価と、それを日本の研究環境の貧窮ぶりと比較する論法は、科学界では常識でも、また日本政治体制の無理解などの批判に同調はしても、科学者の立場が常にアシロマ・モラトリアム的でないと理解はされない。


●研究のための技術への無理解


 アシロマ・モラトリアムにもう少し言及すれば、科学の研究者の立場にある人に「倫理」への配慮、共存と同感、異見の排除などへの指針を与えた。中村氏のように明確な「社会や倫理を意識しながら研究のありようを考える方が重要だ」との科学者への意識づけをすることになった。


 少し後戻りすると、このことが非常に重要な意味を持つのは、アシロマ・モラトリアムが、研究のための、あるいは研究者のためのガイダンスとして確立したということである。それは組み換えDNA技術を「研究のための技術」として位置づけ、研究するツールとして何を前提とすべきかを明確化したことである。少し長いが要約しながら、『生命倫理の源流』(2014年・岩波書店)での中村氏のインタビューを眺めてみる。


「組み換えDNA技術は具体的な研究にとって重要な技術。これをどう考えるか。世の中はこれをバイオテクノロジーとバイオエシックスの問題と見たが、バイオテクノロジーという言葉に具体性を与えたのが組み換えDNAだが、研究のための技術ということが理解されなかった。今も最も重要なのは研究であり、テクノロジーとエシックスという問題で考えるのはあまり意味がなく、研究で大きな意味を持つ。アシロマ会議は、社会的な問題に具体的に対処し、科学をどう進めていくかを考えながら研究する方法としてガイドラインという考え方を出した。これに従えば研究ができるということになった。日本はテクノロジーとエシックスに関心を持ち、研究にとっての意味を理解しなかった」


●問題は細胞ではなく人になった


 新優生学は、ポストゲノムの負の学問名だと私は考える。むろん素人の拙い考えだが、これを一般の人々すべてを対象に拡げたら論破するのは難しいだろう。『遺伝子-親愛なる人類史』の著者、シッダールタ・ムカジーは、遺伝子を操作することとゲノムを操作することはまったく違うと強調している。


「ゲノムの自然な状態での操作、とりわけ胚細胞や生殖細胞での操作が可能になれば、(遺伝子操作とは)比べ物にならないほど強力な技術への扉が開かれる。今ではもう、問題となっているのは細胞ではなく、個体、そう、われわれ自身なのだ」


 2015年に科学者グループが遺伝子編集、遺伝子改変技術の臨床応用への一時中断を求める声明を出した。アシロマ・モラトリアムを彷彿とさせるが、ムカジー自身も同書の終わり近くに12項目にわたる持論をまとめるなかで、12番目に歴史は繰り返す、ゲノムは繰り返すと語っている。新優生学は、ゲノム操作技術の確立と波及で、再びの優生学的研究、医療への応用のとば口に立っているという認識が15年のモラトリアム声明やムカジーの主張から見えるし、それは相当に倫理学的にはリスキーな課題になっている。


●「医師の適切な処置」とは何か


 日本における新優生学的な環境の変化を感じ取りながら、哲学者の世界では「人の出生」に関する論議が展開している。


 テーマは「反出生主義」。「生まれてこなければよかった」という若い人の問いかけが増えている現状に関して、哲学者たちの間で、「社会に存在する幸福の最大化」と「社会に存在する苦しみの最小化」のどちらを選択するべきかという議論が起きている。いくつかの論点を見ると、前者はマイノリティを生んで切り捨てる議論を生み出し、後者は人類絶滅という極論も誘導する。


 生まれてくることの幸福感は何で得られるのか。支え合い、そのツールとしての哲学や文学、芸術に拠り所があるとみる哲学者は多いが、私には、こうした議論が現在の科学のありようと切り離されて語られることに違和を感じざるを得ない。


 特に、「社会に存在する幸福の最大化」は警戒の必要な議論だ。アシロマ・モラトリアムの9年前、66年に兵庫県では「不幸な子どもの生まれない運動」が、自治体が音頭を取って始まっている。このきっかけは、「医師の適切な処置」という言葉とされているが、それとほぼ同時的に出生前診断の実質的なスタートである「羊水検査」の実用化が始まっている。


 生まれてこなければよかった、という哲学的で根源的な問いかけは、「生まれさせない」という技術論と出会うと、その肯定につながっていく。まさにマイノリティへの差別の正当化である。


 次回は、この「不幸な子どもの生まれない運動」が示す、日本の優性思想の岩盤化を見ていく。(幸)