9月も中旬を過ぎ、夜は青空が高くなり、伸び放題の庭の草から虫の音が聞こえるようになったが、家の中は昼の暑さで虫の息だ。連日、最高気温は33度だ、34度だという猛暑だから堪らない。やはり彼岸を過ぎないと、涼しくならないようだ。


 この暑さの中で、子供を車内放置したため子供が死亡したなんていう記事が相も変わらず起こっている。つい先日の事例は岡山県津山市で起こった例で、53歳の祖母が勤務先の介護施設に通勤途中に2歳の男の子を保育園に預ける予定だったが、それを失念し、勤務先の駐車場に車を置いたままにし、9時間半、炎天下の車の中に放置された子供亡くなった、と報じられていた。


 その前の8月下旬には、北九州市で夫婦が幼児を連れて商業施設に行った折、車を駐車場に入れた際、別々に降りた夫婦がお互いに生後10ヵ月の男児を連れて降りたものと勘違いし、幼児を車内に放置したことで死亡させてしまった、という事件もあった。


 今年は少ないようだけれど、昨年は幼稚園の送迎バスが園児を車に残したままにしたため、死亡させてしまった、なんていう事件が多発した。そんな事件から、送迎バス向けに置き去りを防止する装置が開発されたと伝えられた。だが、すべての幼稚園、こども園すべてが備えているわけではない。一方、最新式の装置を未だ買っていない幼稚園で置き去り事故が起こったという話もある。


 だが、最新式の防止装置も結構だが、もっと簡単で確実な方法があるのに、新聞もテレビも伝えない。その確実な方法とは電車の運転士と車掌の行動を見れば一目瞭然だ。


 運転士と車掌が交代するとき、新たに乗務する運転士はまず最初に電車の前面の行き先表示を右手の人差指を指して確認する。そして運転室に入ると、同様に右手人差指で各計器を確認してから運転席に着く。交代する車掌も電車の後ろの表示を右手人差指で確認してから車掌室に入る。電車が発車するとき、ベルを止めた後、人差指で駆け込み客がいないことを確認してドアの開閉スイッチを押している。その後も電車がホームを駆け抜けたとき、後方を指差しして確認している。ホームにいる駅員も同様に電車が過ぎ去るまで右手人差指で確認している。


 旅客機でも同じだ。パイロットはコックピットに入ると、まず、右手人差指で計器類をひとつずつ確認してから操縦席に座る。観光バスでも同じ。車庫に入る前にガイドなり運転手なりが寝ている客がいないかどうか、忘れ物がないかどうか、座席をひとつひとつ確認している。いや、建設会社でも機器類を所定の位置に戻したかどうか、人差指で確認するようにしているという。


 鉄道員によれば、これを「指差し称呼」と呼ぶそうで、客を大量輸送する電車や列車では欠かせないという。この指さし称呼が、最も簡単で確実、かつ安上がりの安全対策なのだ。こんな簡単なことをなぜ幼稚園の園長も送迎バスの運転手も気付かないのだろうか。


 それにしても、子供を亡くした家庭は、その後、どうなるのだろう。岡本綺堂の『半七捕物帳』にこんな場面がある。品川の長屋でおかみさんがちょっと目を離した隙に幼い子供が海辺に出て波にさらわれて亡くなってしまう。知らせを聞いて戻ってきた亭主は一粒種を亡くした怒りから近所の人の制止も聞かず、「お前が目を離したからだ」と女房を責め立てる。涙を流していた女房はついに「私が悪うございました」と言ったかと思うと、裸足で駆け出し、品川の海に飛び込む、呆気にとられた近所の人たちが慌てて後を追い、船を出したが、間に合わなかった。その晩、亭主は子供と女房の2つの亡骸を前にした、という情景が描かれている。


 江戸時代だけではない。先輩の知人の家庭でもこんなことが起こった。奥さんが幼い子供を連れて買い物に出掛けた帰り道、子供が何かに興味を持ち、道路に飛び出し、車に衝突。子供が死んでしまった。よくある話だが、以来、知人は子供の手を離したと奥さんを責め、夫婦仲は険悪になってしまったという。その後、知人夫婦は離婚した。


 子供を亡くしてしまった家庭には、家庭裁判所の調停員なら、また産めばいい、なんて言うかもしれないが、イヌやネコとは違う。新聞は事故だけを報道するから、その後どうなったかは窺い知れない。冒頭の津山市の置き去り死亡事件ではさぞや大変だろう。


 孫を置き去りにした祖母は針の筵だろう。新聞報道では祖母は過失致死で逮捕されたとある。刑事事件としてはうっかり事故だから、不起訴になるか、起訴されても執行猶予になるだろうが、しばらくの間は息子夫婦か娘夫婦か知らないが、家族と距離を離したほうがベターかもしれない。


 祖母は53歳という。残りの人生は30年以上あるだろう。家庭に戻っても針の筵どころか、小さくなって生きるしかない。ちょっとしたミスが家庭を破壊することになる。置き去り事故防止の装置も結構だが、普段、なにげなく見過ごしている鉄道員の「指差し称呼」こそ必要なのではなかろうか。寝る前にちゃんと締めよう親の首じゃなかった、ガスの元栓だ。(常)