●不幸な子どもの生まれない運動とは何か


 今回の小論は「生命倫理」について考えているが、主要テーマは「生まれること」に絞った。死に関しては医療倫理全体を考えるなかで触れてきた。しかし、「生」や生まれることは、仲野徹が言い始めた「新優生学」の足音とともに、これまで否定されてきた優生学、優生主義を塗り替える形で表面に出始めている。とくに、優生主義を否定したはずの日本社会、つまり、この世間ではどうやっても拭えない優生観念が、何かの経験を重ねるなかでひょっこりと顔を出し、やがてあまり違和感のない「世間常識」に転化し、そのおかしさにメディアすら声を上げないという事態が、実は急進している。


 前回、少し付言した「不幸な子どものうまれない運動」は兵庫県から始まって、全国に浸透したが、数年で消えた。これをもって、日本社会ではこうした「優生学的優生主義」は消えたかのような錯覚がメディアに生まれた。


 しかし最近でも、これも前回触れたが「反出生主義」という物語が哲学者など、主に人文系識者間で議論されているが、底流にあるのは、生まれたときから存在する「差別」、あるいは抗いがたいヒエラルキーの存在であり、それは目に見える形のもの、身体的差別=ルッキズムが加わると、救いようのない物語になっている。


●賠償額15%査定の意味


 社会が問題意識を薄れさせている例題のひとつが、今年2月末の大阪地裁判決だ。メディアは類似訴訟事件の結果を並べて、「差別性」には無関心ではないことを表明してはいるが、それ以上の問題意識も突っ込んだ検証も何もしていない。それどころか、類似の差別的判決の判決毎の差異に関する検証にも関心がない。


 この事件は聴覚障害の11歳の女児が、18年に歩道に突っ込んできたショベルカー巻き込まれて死亡したもので、遺族が損害賠償を求めた訴訟判決(23年2月27日)で、大阪地裁は女児の逸失利益を労働者平均の85%と算定した。被告である運転者側は、聴覚障害者の平均賃金(健常者の6割と主張)で算定するよう求めていたが、判決は、それは退けたものの、「85%」と算出した。


 この85%について地裁は、視覚障害者の大学進学率が増加していることや、音声認識アプリなどの進歩でコミュニケーション上の影響は小さいとして、将来の「平均賃金」は18年当時よりも高くなる(一般人との格差は小さくなる)との予測を根拠に挙げている。


 この判決の問題は2点ある。ひとつは、逸失利益の算定に関して、「健常者の6割」を求めた被告側の主張を標準点としていることだ。健常者と同等の賠償を求めた原告(遺族の両親)とのまるでバランスを取ったかのような判断であり、逸失利益は健常者と同等ではないという前提に立つことは守った。2つ目は「耳が聞こえない」ことを逸失利益の減点とすることで、「難聴」の人たちに欠格事由がある、すなわち身体上の差別を肯定したことだ。


『患者が知らない開業医の本音』などの著書がある小児外科医の松永正訓は、この判決に対して、3月6日付投稿(朝日新聞)で、マイナス15%の逸失利益の司法判断はあまりにも残酷だ」として、「人の命を労働力というお金の勘定で割り切る」冷たさを批判、「障害者が健常者と同じ労働力を発揮できない原因は、多数派を基準に設計されている社会構造にある」と断じている。私もまったくの同感。


●多数派が多様性を否定する


「多数派を基準としている社会構造」が、常識とし罷り通っているのは、そこに「普通」の優越とそれを支える差別感情がある。大阪地裁の判決が「差別感情」を根底に置いていると批判することは難しいのだろうか。メディアは司法判断にあまり厳しい批判は示さない。どころか、この地裁判決に関する論評では、障害者の逸失利益は、過去はゼロとされたこともあるとして、それに比せば「進歩した」とでも言いたげな論調もあった。


 オリバー・サックスはかつて、難聴の人たちだけが暮らす島を訪れて、健常者の自分が島では「障害のある人」になった経験を語っている。


 また、『人体の全貌を知れ』の著者、ダニエル・デイヴィスは「聴覚障害は欠けているのではなく、聴覚障害者は何かを持っている」と、人の多様性に立脚して語る意見を紹介しながら、「これに異議があるか」と挑発している。松永が指摘する「多数派を基準に設計されている社会構造」はその点で言えば、司法は「普通に寄りかかった」多数派ではあるが、多様な社会を構造化することに気が付かない、あるいは鈍感であることを示していると言えるのではないか。


●内なる優生思想の頑迷さ


 生まれてくることへの、現在の生命倫理の一般論は実に大きな誤謬によって成り立っている。「多数派を基準に設計されている社会構造」を疑わないと、とんでもない政策やスローガンを許容することになる。「不幸な子どもの生まれない運動」は兵庫県で66年から始まった。


『生命倫理の源流』で哲学者の香川智晶は、この運動を65年に制定された母子保健法を「異常児の出生防止対策」によって補完するものとして構想されたと述べている。まさに、生命倫理上の一方的な判断と、「普通」によりかかる正義の怪しさを感じさせる。この運動は当時の兵庫県知事が心身障害児施設を訪れた際、胸を痛めた知事に施設長がかけた「親のちょっとした注意や、医師の適切な処置さえあれば、不幸な子どもの出生はかなり救われたでしょう」との言葉に、知事が感銘を受けたことから始まったとされる。


 66年から本格化した兵庫県衛生部が中心となった「不幸な子どもの生まれない運動」について、香川の解説から引用しよう。


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「関係機関、関係団体等の連携協力のもとに、総合的、体系的に実施し、県民をあげて不幸なこどもの出生を防止するとともに、出生児の健やかな生育を図ろう」とする運動は徹底していた。そこにフーコー流の国民国家概念の日本的発揚を見ることはあまりにも容易だろう。兵庫県の事業内容は婚姻期、妊娠期、周産期、乳幼児期の4段階にわたって企画されており、県をあげた普及啓発活動、健康管理体制、医療体制の整備が行われていく。中心となったのは全国で初めて70年に開設された県立こども病院だった。同年には、県衛生部に「不幸な子どもの生まれない対策室」が設置され、翌年、県立こども病院の巡回相談車が活動を開始し、病院内に指導教室が置かれている。そうして72年には、羊水検査が先天性異常児出産防止授業に組み込まれ、検査費用2万5000円を県が負担することになった。

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 この動きはその後、他県へと広がり、「不幸な子どもの生まれない」は10道府県市のスローガンとなり、同様の施策が全国の自治体に広がった。香川は、こうした運動が自治体に燎原の火のように広がった背景を、羊水検査のスタートでもあるように「出生前診断」が経済的側面で強調されることに注目している。


 英国では、出生前検査にかかる費用は障害者を対象とした福祉コストよりはるかに安く、ダウン症児を中絶すれば生まれてきた場合に比べて3分の1以下の費用で済むといった試算が、この運動では喧伝されたようだ。


 香川は、「不幸な子どもの生まれない運動」が全国に広がった背景には、経済成長、経済効率の観点が強く働いていたとし、運動は典型的な優生思想であり、羊水検査がその強力な手段だったと断じている。


 難聴の少女の事故賠償費用の85%算定は、こうした運動と通底しているように私は感じる。「差別ではない」と言うが、障害者は経済的効率性からは疎んじられるという構図は、「不幸な子ども」の経済効率について、一般人より「低い」という肯定で「差別である」と断定できる。


 むろん、兵庫県から始まった「不幸な子どもの生まれない運動」は72年の優生保護法改定運動を契機に批判が強まったことなどもあり、同年に収束している。ただ、兵庫県は16年の県立こども病院移転時の記念誌に、「不幸な子どもの生まれない運動」は、「本邦初のユニークな県民運動」だったとの評価も示している。


 鉾は収めたが、運動自体は間違っていなかったという自己評価が、今も存在することに暗然とする。「内なる優生思想」は、図らずも損害賠償事件を契機に存在が示された。「不幸な子どもの生まれない運動」は実は、「内なる優生思想」として生き延びている。次回はこの「内なる優生思想」について論じてみよう。(幸、敬称略)