手術、化学療法、放射線、免疫療法に続く、第5の治療法として注目を集める「光免疫療法」。2020年9月に条件付きながら、頭頸部がんを対象に承認された。
『がんの消滅』は、光免疫療法の誕生までの経緯、これからの可能性を記した1冊である。科学史上の重要な発見には「セレンディピティ」(予想もしなかった幸運)が伴うことがあるが、多くは単なる運任せではない。努力を続けてきた天才が想定外の事象の本質を捉えて、世に出したからこそ発見につながっている。
その意味では、光免疫療法も同じだ。本書の医学監修者でもある小林久隆氏は、米国国立衛生研究所(NIH)で、がんを可視化する分子イメージングの研究を行っていたが、始まりは小林氏の実験室で起きた〈奇妙な現象〉が起点となっている。光らせるつもりだった、がん細胞が次々と壊れたのだ。
この奇妙な現象が、光免疫療法につながっていくまでの詳しい経緯は本書を読んでいただきたいが、発見には小林氏が〈医者で科学者で免疫学者〉という極めて稀な人材だったことが大きいと感じさせられた。
光免疫療法の仕組みは、〈がん細胞と特異的に結合したIR700(※光感受性物質)が、近赤外線を当てられると化学反応を起こし、がん細胞を破壊する〉というもの。がん細胞と特異的に結合させるためにIR700と組み合わせて使われるのは「抗体」である。
メカニズムは極めてシンプルだ。シンプルなほど医療の現場への導入が進みやすいし、トラブルも起こりにくい。
光を当てなければ、効果も出ないので、想定外の副作用が出る可能性も薬より低いはずである。以前から気になっていたのは、外からは光が届かない体内の臓器の治療だが、光ファイバーを体内に入れ光を照射するという。手術に比べると侵襲も少ないし、放射線治療よりも正常な細胞を壊すリスクも低そうである。
狙ったがん細胞を壊す働きに加えて、光免疫療法にはもうひとつの効果もある。〈免疫の働きで、がん細胞が死んだという情報が免疫システムに伝わると、周辺の免疫細胞が活性化して、がんに対してさらなる攻撃を始める〉のだ。つまり、〈矛と盾を両方備えた〉治療法なのである。
■8~9割の固形がんが対象に
光免疫療法の誕生にあたっては日本企業も関係している。ひとつは島津製作所。社長だった服部重彦氏(現相談役)が、小林氏との会話を通じて全面協力を約束。最新の原子間力顕微鏡が光免疫療法の元になる発見につながった。
もうひとつは、楽天グループ、というより三木谷浩史氏。個人のポケットマネーから600万ドルを投じることを即断(後に1億5000万ドルを投じた)。これを契機に楽天、SBIグループなどから1億3400万ドルを調達した。昨今は楽天グループの携帯電話事業の不振も伝えられるが、創業者ならではのスピード感である。
意思決定が遅いとか、決断ができないと批判されることも多い日本企業だが、捨てたものではない。
小林氏について「極めて稀な人材」と書いたが、キャリアは必ずしも順風満帆だったわけではない。日本では研究が評価されず、京都大学でのキャリアは助手まで。40歳を前に大学を飛び出してNIHに研究者として渡っている。ちなみに、2003年には当時、医学部長だった本庶佑氏などの推薦を受けながらも、京都大学の教授選で落ちている。
小林氏は、〈間違っていることはちゃんと言うし、都合の悪いこともきちっと言える人間でありたい〉という人物だ。日本の組織の中では、軋轢を生みやすいキャラクターであることは容易に想像がつく。
親友いわく〈日本の組織が彼のスケールに合わないんでしょうね。彼がまっすぐにことを進めようとすると、どうしてもあちこちで不協和音が出てしまう。どこかに足をひっぱる人間がいるんでしょう〉。
結果として、光免疫療法は米国発となった。
光免疫療法は、〈順調にいけば、今後は乳がん、子宮頸がん、大腸がん、肝臓がん、腎臓がん、肺がん、すい臓がんなど、ほとんどの固形がんに対応できるものと考えています。おそらく2020年代のうちに全体の8割から9割の固形がんを治せるようになると見込んでいます〉という。
過去に画期的なとして注目を集めた医療や薬の中には、普及するにつれて、効果が限定されたり、副作用があることが判明したりしたものもある。現時点で、手放しで喜ぶわけにはいかないが、進化を続けるがん治療の大きな一歩となる可能性を秘めている。(鎌)
<書籍データ>
『がんの消滅』
芦澤健介著、小林久隆医学監修(新潮新書924円)