我々のグループが中央アジアで行なっていた現地調査では、民間で使われていた薬用植物を、植物標本の実物と、それに付随する情報とをセットで集めて廻っていた。情報とは、その植物の名称や薬としての使い方、どこに生えているのか、など、基本的なことばかりだが、それらの情報を正確に集めるのも、実はなかなかコツがいる作業であった。
薬用にできる植物が割と身近にあって、日常的にそれらを使っているという状況があるのだから、そういう調査をするエリアは、いわゆる田舎町であることが多い。調査の中心は2000 年前後であったから、携帯電話や衛星通信などは限られた地域にしかなく、ウズベキスタンやカザフスタンの田舎町では、外国人というだけで珍しい存在だった。そんな得体の知れない外国人にいろいろ尋ねられても、多くの場合、現地の農民や羊飼いらは警戒して、何も話してはくれない。そもそも言葉だって通じない。そこで我々は、グループメンバーに調査国の研究者を加え、地方に調査旅行に出る際には、現地研究者に謝金を支払って、同行してもらっていた。
現地研究者に協力研究者になってもらって、調査旅行に同行してもらうということは、いまでも外国で現地調査をする時には実施することであるが、この現地研究者がどういう人物であるかによって、調査旅行の内容や成果が大きく変わってくる。
大抵は、現地調査に出かける前に充分にコミュニケーションをとって、信頼性や柔軟性など、お互いの背景にある文化を超えて協力し合えると予想されるか、探ってから協力要請を申し入れるが、現地研究者同士の紹介で依頼することになったりすると、この予備調査ができずに、いきなり現地調査で初顔合わせ、ということもある。ウズベキスタンとカザフスタンは隣り合う中央アジアの国々で陸続きなので、我々は2度ほど、陸路で国境を超えて両国を調査したが、それぞれの国の現地協力研究者の考え方や振る舞い方が大きく異なっており、いずれも結局は長い付き合いになっているものの、調査中の雰囲気や成果には、両者でかなり異質な部分があった。
さて、現地研究者に導かれながら、草原や半砂漠地帯にぽつぽつとある村や羊飼いの溜まり場などを、ひとつひとつ訪ねては、ゆるゆると話を始め、我々外国人グループを受け入れてくれそうなところであれば、頃合いを見計らって、標本と情報の収集を始める。現地研究者がひとことふたこと話しかけただけで、首を振って拒絶される場合もあれば、にこやかに家の中に招き入れられて、食事までふるまわれることもしばしばあった。時には、遠い日本からの研究者だと紹介されると、そういう珍しい客が来た、ということがその村の中では自慢話にできるのか、立ち寄って話を聞いた家を出ると、近くの別の家の主が、自分の家にも来てくれ、と招き入れる、ということが数回、時間切れになるまで繰り返されることもあった。
集落の周りの環境に植物が多い場所だと、利用されている薬用植物の種類も豊富で、1回の聞き取り調査では終わらず、次の日も同じところで標本&情報収集を続ける、ということもしばしばあった。また逆に、集落の内外にはあまりめぼしいものがないところであっても、遠くの山のどこそこには、こんなものがあって、それをわざわざとりに行って使っている、というような情報があるときには、それが時間をかけて採取に行くにふさわしいほど興味深いものであれば、その村人と一緒に1日かけて探しにいったりすることもあった。
こんなふうに、調査で訪れる村の人々とは一瞬のお付き合いで、お互いに名刺交換するわけでもなく、名前も覚えていないような状況であるが、我々の調査に興味を示してくれた村人の中には、別れ際にお土産を渡してくれる人もいた。殻付きアーモンドや乾燥アプリコット、ナンと呼ばれるパンなどである場合が多かったように記憶しているが、女性陣が応対してくれた村では、我々のグループの紅一点であった自分に強く興味をもたれることがしばしばで、言葉は通じないけれど、歓迎したことの印というかのように、自分だけに特別なお土産を持たせてくれることが多かった。それらは、とっておきの薬用植物だったり、貴重な砂糖を使ったお菓子だったり、砂糖の結晶そのものだったり、そして時には、村の女性が着用している民族衣装を作るための独特の柄の布地だったりした。
伝統的な装束は、男性よりも女性の装いに守られやすいという説を聞いたことがあるが、この地域でも、市場や家庭で独特の色彩豊かな民族衣装を着ているのは女性ばかりであった。衣装の作りはシンプルで、長めの布を二つ折りにして両脇を縫い、頭を出すところに穴を開けた感じの、ちょっと見、マタニティードレスのような形である。これを作るための、着分と思しき長さの民族柄布を、インタビューが終わって去ろうとしている時に、そっと持たせてくれるのである。それが、1回きりの出来事ではなく、あちらこちらの村で結構な回数あったのである。今でも複数の布地が手元に残っている。
並べてみると、おおよそ同じパターンの柄なのだが、布ごとに少しずつ色遣いや模様が異なっている。調査には、予め予告などせずに訪れているので、彼女らがこの布地をお土産用に準備していたとは考えにくく、街に買い物に行った時に自分や家族のために、買って備蓄してあったのではないかと思われた。
これらのカラフルな布地、材質は、確かめたわけではないが、化学繊維が多いようである。日本では中央アジアのエリアは“シルクロード”という特別な言葉とセットでイメージされるため、布をもらったというと、「シルクでしょ」という人がおられるが、確かに、シルクと思しき布もあるものの、シルクは耐久性や価格の上で普段使いには適しておらず、こういう場面でファーストチョイスとして出てくるものではなさそうである。
さて、この原色カラフルな布地、たくさんあるのだが、どんな衣装に仕立てようか、今でも思案中のままである。
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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。元京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けば京都大学一筋。研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれた。途上国から先進国まで海外経験は豊富。教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多かった。現国立医薬品食品衛生研究所生薬部部長。