都内に住む71歳男性。35年にわたって高血圧症を患い、毎日降圧薬を服用。最高血圧150mmHg超でも血圧手帳は三日坊主、好物はカップ麺という生活だった。ところが3ヵ月前、主治医から“処方”された「治療支援アプリ」が変化をもたらした。食品の塩分表示を確認するようになり、カップ麺は「今はそんなに食わないよ」。運動を記録するのが楽しみでジム通いも増えた。「先生が見てくれてるんだからさ、毎日」「先生に褒められたい期待、やっぱりそういう気持ちだよね」。


 利用にはまずアプリをスマートフォン(スマホ)にダウンロードし、医療機関から受け取った処方コードを入力する。月1回の受診日。主治医はPCの画面を示しながら「毎日見ていますが…」と、運動の習慣化や血圧がほぼ目標値を達成したことを褒め、「あわよくば薬の量を半分とかに、トライしていきましょう」と励ます。これまでは患者が一歩診察室を出たら関わりが途切れていたが、「コミュニケーションツールとして現在進行形の血圧の状態が画面を通じてわかる」ことは「私の外来の(治療)指針のヒントになっている」と話す(9月30日NHKサタデーウォッチ9より→関連記事)。


■’35年市場は’21年比3,000倍に迫る?

 番組で製品名には触れられなかったものの、この『CureApp HT 高血圧治療補助アプリ』はデジタル治療(DTx)に該当〈図〉。2022年4月に薬事承認を取得し、同年9月には保険適用となったもので、初回に限り指導管理加算140点、6ヵ月を限度に月1回に限りプログラム加算830点を算定できる。番組で紹介された「月2,500円程度」は後者の3割負担額に相当する。保険適用にあたり、日本高血圧学会は『高血圧治療補助アプリ 適正使用指針(第1版)』を作成した。開発は、株式会社CureAppと自治医科大学(循環器内科学部門)、つまり「医療系ベンチャー+アカデミア」というパターンだ。


 株式会社富士経済によれば、「デジタル治療システム(スマホやウェアラブルデバイスなどから得た個人の健康情報を、医学的知見を搭載したアルゴリズムで解析し、治療へ向けたガイダンスを行う製品のうち、保険適用されたもの)」の国内市場は、2021年1億円に対し、2022年見込み2~3億円、2035年予測2,850~2,863億円という。




■基礎固めが進むデジタルヘルス

 DTx関連の国際団体としては、2017年設立のDigital Therapeutics Alliance(DTA)(本部・米国)があり、現在は107の企業・団体・組織がメンバーに名を連ねている。DTAは、広義のデジタルヘルスを、❶狭義のデジタルヘルス、❷デジタルメディスン、❸デジタル治療領域分けしている〈表〉。❶は「消費者にライフスタイル・ウェルネス・健康関連の目的を保証するテクノロジー、プラットフォーム、システムなど」。❷は「医療関連サービスにおいて、エビデンスに基づく測定や介入を行うソフトウェアやハードウェア」。❸は「医学的な障害や病気に対して、エビデンスに基づく予防・管理・治療のための治療的介入を提供する製品」だ。


 ドイツでは2019年にデジタルヘルスケア法が施行されるとともに、DTxに特化した薬事承認・保険償還制度が始まった。デジタルヘルスケアアプリ(DiGA)は低リスクの医療機器に分類されている。一方、米国医薬食品局(FDA)は2020年、最新のデジタルヘルス技術が米国内で確実に開発され、評価されるよう、Digital Health Center of Excellence(DHCoE)を創設した。


 国内では、2019年10月に設立された製薬デジタルヘルス研究会(SDK)と日本デジタルセラピューティクス推進研究会(DTx推進研究会)が統合され、2022年3月に日本デジタルセラピューティクス・アライアンス(JaDHA)となった。広義のデジタルヘルスの開発や提供に着手する製薬企業も少しずつ増えてきたことから、製薬協は2023年6月、取り組みの参考になる3つの報告書を公開した。




■製薬企業が“製薬”だけの企業でなくなる日

 過去数年の間に自社製品がある分野で狭義のデジタルヘルスに取り組む製薬企業は増えてきた〈表〉。その内容は、症状の記録により患者の自己管理の一助とするもの、疑わしい症状の早期発見につなげようとするもの、疾患の特性に合わせ楽しみながら運動改善を促すもの、薬物治療の副作用管理に役立てるものなど、いくつかのパターンがある。アプリ・ツール等の提供にとどまらず、総合的な情報提供サイトを同時に開設していることも多い。


 製薬企業の事業を、自社製品の売上を高めるためにデジタル技術を用いたサービスを提供する“Around the pill”と、デジタル技術を用いたサービスそのもので新たな売上をつくる“Beyond the pill”ssに分けるなら、現状のデジタルヘルス製品・サービスはいずれも前者に相当する。デジタルメディスンに該当するがん領域のデジタルコンパニオン診断は、自社製品以外の分子標的薬にも使えるという点で、後者の可能性を秘めている。


 さらにデジタル治療(DTx)で、2023年2月にサスメドが製造販売承認を取得した不眠障害用アプリについて同社は、2021年12月に塩野義と販売提携契約を締結済み。このアプリは「医療現場の人員不足に伴って CBT-I (cognitive behavioral therapy for insomnia)が普及していない現状を改善し、薬物依存度を減らした不眠障害治療を可能とすることが期待されている」と説明する。塩野義は2023~30年度の中期経営計画で「ヘルスケアサービスとしての価値提供 Healthcare as a Service: HaaS」を謳う。「多様なパートナーと協創すること新たな付加価値を産み出し患者や社会の困りごとを解決する」「医療用医薬品の創生で培った強みを強化し協創の核とする」という。製薬企業が生き残りをかけて医薬品の売上増だけでなく“製薬”を超えた分野に取り組む、そのツールのひとつがデジタルヘルスとなる時代にさしかかっているのかもしれない。


(2023年10月4日時点の情報に基づき作成)


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 本島玲子(もとじまれいこ)

「自分の常識は他人の非常識(かもしれない)」を肝に銘じ、ムズカシイ専門分野の内容を整理して伝えることを旨とする。

 医学・医療ライター、編集者。薬剤師、管理栄養士、臨床検査技師。