科学や医学の進歩に民法の法制度が追いつかず、社会の実情に沿わなくなっている。具体的には「婚姻中に妻が懐胎した子供は夫の子供と推定する」という嫡出推定と、「母子関係は分娩の事実によって確定し、出産した女性が母親になる」という分娩主義である。高度な科学や医療の技術を活用するためには、100年以上も前の明治時代に制定された民法を改正する必要がある。
■最高裁「血縁なくても父子」
嫡出推定の問題は、遺伝子を特定するDNA鑑定によって血縁関係のないことが明らかになった場合、法律上の父子関係を取り消せるかどうかが、争われてきた2つの訴訟でクローズアップされた。いずれの訴訟でも妻が夫とは別の男性と交際して子供を産み、生まれた子供はDNA鑑定によって100%近い確率で夫ではなく、男性との間の子供だと判明した。しかし民法772条では前述した「婚姻中の子供は夫の子供」(嫡出推定)と定められているため、妻側が父子関係の取り消しを求めた。
2つの裁判とも1、2審の判決ではDNA鑑定による血縁関係が採用された。しかし7月17日の最高裁の判決は「生物学上の父子関係がないことが科学的証拠(DNA鑑定結果)から明らかでも、法律上の父子関係はなくならない」との判断を下した。ただし5人中2人の裁判官が反対意見を述べるというきわどさ。民法を重視しようとするこれまでの司法の姿勢が問われている。 ここで各裁判官の意見(要約)を見てみよう。賛成意見は「DNA鑑定の技術が進歩したなかで、父子関係を速やかに確定して子供の利益を図る嫡出推定は重要性を失っていない。ただし旧来の規定が社会の実情に沿わないものとなっているのなら立法政策の問題として検討すべきだ」と述べられ、反対意見は「今回の訴訟では夫婦関係が破綻し、子供の出生も明らかになっている。生物学上の父親との間で法律上の親子関係が確保できる状況にもある。それゆえ父子関係の取り消しは認めるべきだ」と強調した。
今回の2つの訴訟のケースでは、すでに子供はDAN鑑定で血縁関係があると判明した父親と暮らしている。嫡出推定によって子供の利益を求めようとするのは無理があるし、結果的に「法律上の父」と「血縁上の父」という2人の父親を生んでしまい、子供の成育に不安定な要因を与え、家族関係に大きな混乱をもたらす。一般的に嫡出推定によって子供の利益をもたらすケースもあるだろうが、血縁関係という原則を固めておく必要がある。
裁判官の意見では賛成、反対にかかわらず立法による解決を求めている。離婚、再婚、性別変更などで家族関係自体が多様化している現代社会では、明治時代にできた民法で定められた親子関係は社会の実態に合わなくなっているからだ。そんな法律に基づいて裁判所が判断すること自体がおかしい。子供の幸せを前提に国民の間で広く議論し、国会の場で民法改正を進めたい。
■民法「出産した女性が母親」
次に分娩主義の問題。自民党のプロジェクトチーム(PT)が代理出産に代表される生殖補助医療(不妊治療)法案(議員立法)を作ったものの、意見がまとまらず今年の通常国会に提案できなかった。法案が認めている代理出産は、夫婦間の受精卵を第3者の女性の子宮に移植して産んでもらういわゆる借り腹だ。生まれつき子宮がないか、病気で子宮を摘出した女性に限って認めるという条件付きで、民法や最高裁判例の「出産した女性が母親で、母子関係は分娩の事実によって確定する」という分娩主義によって子宮のない「遺伝上の母」は母親とみなされない。つまり医学的に子供と血縁関係があっても、その子供を産んでいないと法律上、母親とはみなされない。このため生まれた子供と養子縁組を結ぶ必要が出てくる。代理出産も「産みの母」と「遺伝上の母」という2人の母親が存在し、親子関係が複雑になる。
基本的な人工授精や体外受精も生殖補助医療法案の対象となる。法案には①精子と卵子の売買を罰則付きで禁止する②精子と卵子の斡旋は国指定の非営利医団体が行う③厚労相が認定した医療機関で実施するーことが盛り込まれた。さらに子供が自分の出自を知りたいと希望したときにどう対応すべきか、という大きな課題もある。法案では精子や卵子の提供は匿名で行い、提供者の情報は国の指定機関で管理するとともに開示制度を設けるよう求めている。
こうした生殖補助医療の問題に対し、厚生労働省は法整備を目指して審議会で議論を重ね、2003(平成15)年に報告書を公表した。日本学術会議も2008年に報告書をまとめている。しかし立法化は宙に浮いたままで、これまで規制のない状態で代理出産などの生殖補助医療が実施されてきた。なかには代理出産で第3者に子供を産んでもらい、「(子供と血のつながりのある)自分を母親と認めてほしい」との訴えを起こしたが、最高裁が認めなかったタレントの向井亜紀さん夫婦のようなケースも起きている。自民党のPTでまとまった法案をなるべくはやく国会に提案し、議論を深め、世論を喚起する必要がある(沙鷗一歩)。