●内なる優生思想の岩盤化


 前回は聴覚障碍者の賠償金判決を例題に、「普通」の多数派が多様性ある人々の営みを否定する差別感と、それの基底をなす優生思想を考えてみた。こうした優生思想、つまり、聴覚障害者の「稼ぎ」は健常者の85%だという判決に違和感を伴わない考え方を「内なる優生思想」として、このシリーズの最後にしたい。


 70年頃に兵庫県から始まった「不幸な子どもの生まれない運動」は、現代なら容易にその優生的発想のおぞましさのようなものに気付けると思う。しかし、前回にも記したように、7年前の県立病院系の記念誌に、「本邦初のユニークな県民運動」だとの評価が示されていて、「不幸な子ども」を「不幸」と認識する差別感が厳然と残り、その消えた経緯に対して何も再評価的(むろんネガティブな)な行動が起こされなかったということがわかる。


 この経年的な動向、差別に対するさまざまな議論、世論の見直し、などなど兵庫県の医療関係者には「どこ吹く風」だったらしいことが知れるのである。たとえ、そんなことはないと言い訳しても、「ユニークな県民運動」という評価だけで、「内なる優生思想」として凝固したとみられるべき筋合いのものだ。


「内なる優生思想」という言葉を最初に発したのは、「青い芝の会」という障害者団体である。脳性麻痺者の当事者団体で、当初は親睦的な組織だったと説明している情報もあるが、私も70年頃から団体の存在は認識していたので、親睦的団体という印象は少ない。脳性麻痺者と知的障害者の混同に抗議的な行動をしていたという説もあるが、優生思想への対峙と言う点では、最初から一枚岩で運動が展開されたわけではないようにみえる。


 しかし、「健常者のエゴを内なる優生思想と呼んだ」という香川智晶の論文を引用すれば、「内なる優生思想」の発端的経緯は青い芝の会のウーマンリブ運動への違和と重なっていることがわかる。


●「自己決定権」が持つ矛盾


 ウーマンリブ運動は60年代から始まったとされるが、その原則的な考え方は「自己決定権」であり、これは現在のLGBTQ運動と通底する。自己決定権は生命倫理の考え方が呼び起こした概念のようにも見えるが、実はその根源はウーマンリブ運動にあるという説は根強い。


 ウーマンリブの自己決定権の確立は、72年の優生保護法改定案が出されたのが契機となっている。単純にいえば、人工妊娠中絶の経済的条項を削除し、「胎児が重度の精神又は身体の障害の原因となる疾病又は欠陥を有しているおそれが著しいと認められるもの」といういわゆる「胎児条項」を導入するものだった。これに対し、ウーマンリブ運動の活動家たちは、「女の身体は女のもの」「女の生き方は女が決める」というスローガンのもと、経済的条項の削除に強く反発した。


 つまり、経済的条項の削除は実質的に中絶の自由化を廃するものだったのである。当時、政府は戦後の経済的困窮の不安はなくなったとして条項廃止の理由を説明したが、ウーマンリブ運動の活動家たちは、これは女性を家庭に縛り付ける発想だとしたほか、胎児条項についても国の役割を放棄し、国の役に立たないものは切り捨て、その責任を女性に押しつけるものだとの論陣を張った。この法案には「初回分娩の適正年齢の指導」という「相談所機能」の役割も示されていて、高齢出産のリスク回避なども含意としてあったことが活動目的の正当性を強化していた側面も見逃せない。


 青い芝の会は、このウーマンリブ運動の「産むも産まないも女性が決める」の主張は、「障害児なら中絶することも含むのか」との批判を示した。自己決定権の旗の下に集うのは障害者も含まれる。この異議申し立ては、はからずもウーマンリブ運動の隘路を突いた形となった。「内なる優生思想」はこうしてひとつの思想形態のカテゴリーとなった。現実に、このウーマンリブ運動と障害者差別との隘路は、残されたままだと言える。実際、自己決定権はあらゆる人々が持つことができる権利だという認識が正当だとしても、そこから生まれてくる対立も解消はされないのである。矛盾は残る。


 人工妊娠中絶もあればヒト胚の人工的な修飾や編集の問題もある。自己決定権だからといって、安楽死は認めていいのかという議論まで飛躍すると、生まれてから死ぬまでの各論で議論を尽くさねばならなくなる。


 それでももっと単純に「内なる優生思想」を超えていく努力は続けなければならないだろう。「不幸な子どもの生まれない運動」の安直な「もっともらしさ」を否定する学習はこの世界では延々と続けるべきものだと私は考える。


●不可欠な反射的批判


 自己決定権が立場によって相反する矛盾、隘路を抱えるとしても、相手の権利として認めることはできるはずだ。相反するテーマは、どこかで折り合うことを条件に議論を止まることなく続けるしかない。


 しかし一方で、こうした単純な理解ではもう保てない新たな優生主義の台頭も見られている。それは遺伝子改変技術の進歩と、それに伴う新たな、それもどうやら「ほんの小さな」生殖細胞系遺伝子工学の可否を問う、ある意味、新たな「内なる優生思想」の蔓延である。


 自己決定権の「主張」を支えるものは、ウーマンリブ運動にも多少の片鱗がみえるのだが、遺伝子改変の工学的技術の進化に伴って、それは自らの周辺とその状況、未来を自分中心に考える「内なる優生主義」の台頭だ。それは意識的だったり、無意識的だったりするが、「産むも産まないも自分が決める」からスタートした、「他者からの差別的主張」を拒絶し、それが一見妥当に見えても、拒絶の理由が他者そのものへの差別性をどうしても包含してしまうということがパラダックスとしてみえてくる。隘路はどうしたって残る。


「産むも産まないも自分で決める」の内側には、他者よりも自己のほうが判断を間違えていないという無意識性が存在している。


 こうした思惟形を、一部の人類学者や哲学者に生まれている「汎優生主義」というワードの誕生と広がりがその存在を明らかにしようとしている。


 文化人類学者の宮永國子は、「グローバル化とパラドックス」の中で、「汎優生主義」を、「この私の(または誰かの)生存が、他の誰かの生存よりも一層生きるに値する」という無意識的信念を核にしたものという。その逆の「他の誰かが、この私より生存に値する」というパラドックスも生み出す。こうしてみてくると、優生主義も新優生主義も、汎優生主義も、いつもどこにでも「階層化」と無縁ではいられないことがわかる。どこまでいっても人間の知性は本質的にヒエラルキー構造を内包し、それが優生主義の根底にあることを覚悟しなければならない。


 小児科医で自身も重度の障害を持つ熊谷晋一郎は、今年9月の雑誌対談で、表立っては排除されなくなったが、「依然として障害者は日常で目に見えない形で排除されている」と語っている。「目に見えない形」はなくなりはしないのである。


 それだからこそ、不断に無意識的ではなく意識的に、優生主義の所在を見つけ続ける必要があるのかもしれない。そして、それは遺伝子工学的技術を背景にした生殖医療や、その産業化のなかで、常なるチェックポイントの導入と反射的な研究と批判と、理論武装を必要とするのである。


 10数年ほど前からは、遺伝子工学の活用を「親の自由」として容認するような姿勢、ある種の道徳観を「リベラル優生主義」として規定する哲学者もあり、議論となっている。


 次回からは第3部として、医療倫理、新たな優生主義の流れなどを、いくつかの研究者の本を読みながら考えてみたい。(終)