小生も還暦を過ぎ、はや2年。さまざまに「老い」が進んでいることは、十分に自覚しているが、それでも近年やたらに聞く「老害」という物言いは、どうにも耳障りだ。このところ、昭和20年代にまつわるルポ連載を手掛けていることもあり、私のインタビュー対象はその多くが80代半ば以上。それでも老人特有の頑迷さに誰しもがとらわれているわけではなく、他者の意見も柔軟に聞く「コミュ力」の高い人たちは、この世代にも結構いる。私に言わせれば、SNSなどで「老害、老害」と言い募り、年長者をやたらと否定する40~50代の論者にこそ、自己過信や増長が目立っている気がする。


 今週の週刊SPA!は『進む【超老害社会】』という特集を組んでいるのだが、そこに登場して「老害老人への対処法」を指南する「識者」の物言いにも、正直、そういった傲慢さが垣間見える。しかしまぁ、SPA!の特集は昔から竜頭蛇尾、見出し以上の記事内容はほとんどなく、チープなエピソードを適当に寄せ集めた「やっつけ仕事感」のモノが多い。今回も、ほとんどの記事を飛ばし読みするなかで、唯一引き込まれたのは、89歳にしてテレ朝『朝まで生テレビ!』の司会の座にしがみつく田原総一朗氏への単独インタビューだった。


 しかし、これも中身は期待外れだった。直近の番組で出演者に「黙れ!」と大声を出したことにはしおらしく反省の弁を述べていたが、「自分は役職には就いておらず、ただ番組をひとつ持っているだけ」と開き直り、あとは気持ちよく政財界における「老害批判」をまくし立てていた。聞き手の記者は何歳だか知らないが、どうにも腰が引けている。もっと田原氏自身の問題に質問を絞り込み、ろれつの回らなさや理解力の低下など、目に余る能力の衰えを突き付けるべきだった。あんなに気持ちよく独演会をやらせてしまってはダメである。


 ここ十数年、社会の分断・対立というテーマを考えることが増え、人々はなぜ頑なに持論にこだわるのか、そのひとつの要因がうっすらと見えてきた。少なからぬ人は中高年になるにつれ、自分自身の過去の生きざまを都合よく「正しかった」と結論付けたがる。そして、生き方や価値観にまつわる議論では、その「自己正当化」をこそ基準にして、辻褄が合うようにモノを論じようとする。過去の自分が間違っていた、という内省は極力したくない。そんな思いが極めて強いため、異なる価値観との客観的な比較検討には背を向ける。世の高齢化が進むにつれ、そういった人の割合が増えたように感じている。


「老害」という害が実際にあるとすれば、その中心になるのはまさにこのタイプだ。どれほど明白な事実を突きつけても、彼らが持論を曲げることはない。事実などどうでもいいのである。その一方、80~90代の高齢者でも、人により自分の人生を客観視できるタイプもいる。そして「年寄りはダメだ」と執拗に言い募り、年長者との意思疎通を拒絶する自信たっぷりの「若手」論者。彼らこそいずれその多くが「老害」と指弾される側に回るはずだ。同世代のなかでも「もっとも頑迷な一団」と見なされることだろう。


 田原氏は前出のSPA!インタビューで、サントリーの新浪剛史社長を引き合いに出し、「彼のようなリーダーシップのある若手経営者でも、老害の問題は簡単に打ち崩せずにいる」と語ったが、今週の週刊新潮は『サントリー「新浪社長」は「和製ゴーン」か⁉「ハワイ10億円コンドミニアム私物化」疑惑』という記事を載せた。新浪氏がローソン社長時代、会社の保養施設という建前で事実上、自分しか使わない豪華な物件をいくつも買っていたという疑惑を追及する記事だ。結局のところ、彼のような自信満々で「唯我独尊タイプ」のリーダーは、「若手」と呼ばれる時期が過ぎ去れば、瞬く間に「老害タイプ」に分類されるだろう。そんな「世の無常さ」をふと思った。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。