平時モードとは言え、コロナ禍前より増えたマスク姿の人々に新型コロナの痕跡を感じるが(このところ流行している季節性インフルエンザの影響かもしれないが……)、新型コロナの報道での扱いはずいぶんと小さくなったものである。
喉元過ぎれば……ではないが、3年間の別世界はもはや過去のものになってしまったのであろうか? 『1100日間の葛藤』はさまざまな分野の専門家集団である「新型インフルエンザ等対策推進会議」や「新型コロナウイルス感染症対策分科会」などの会長を務め、コロナ禍で一躍時の人となった尾身茂氏の回顧録である。
読み進むにつれコロナ禍の3年間が思い起こされる、と同時に人々に見えていた発表や報道の裏側でどんなやり取りが行われていたかがよくわかる。
政府関連の各種機関といえば往々にして御用学者による予定調和に陥りがちだが、ことコロナ関連に関しては、さまざまな知見を持つ専門家がガチンコで激論を交わしていたようだ。
例えば、ともに世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局で感染症対策に従事した経験を持つ、押谷仁東北大学教授と、岡部信彦川崎市健康安全研究所所長のやり取り。
〈押谷さんが「ともかく感染のレベルを少しでも下げるべきだ」と主張すると、岡部さんが「いや、人々の日常への配慮も必要なので重症化対策に力点を置くべきだ」と反論した。怒鳴りあいになり、片方が席を立つほど険悪なムードになった〉という。異なる視点から専門家が意見をぶつけあえるのは、組織として健全である。
刻々と状況が変わる、ステークホルダーが多い、かつ大衆がいっぱしの評論家になるほど知識を持ったなかで、著者は個性的な専門家集団をまとめつつ危機の3年間を乗り切った。
確かに〈臨床、地域医療、研究、行政、国際保健、組織のマネジメントなど多様な場面を経験し、いわば医師の総合職のようなものであった〉という、尾身氏の稀なキャリアによるところも大きい。
しかし、それだけではない。難しい局面である種の割り切りや妥協も厭わない一方で、押すべきところは押す。〈厳密な意味での科学的根拠がなくても、専門家としての判断や意見を言わなければ、専門家としての役割を果たせない〉といった思考からは、尾身氏の実務家としてのバランス感覚や胆力が伝わってきた。
本人は反省しているようだが、強く印象に残っているのが、パラリンピックで再来日した国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長について語った一言、〈何でわざわざ来るのかと。もう(東京五輪で)一回来たから、銀座も一回行ったんでしょう〉だ。外出の自粛が求められイライラが募っていたタイミングだっただけに、誰もが溜飲を下げた。
■俗人的だった専門家の仕事
一方、コロナ禍での医療機関や行政の対応に関連する記述に目を向けると、〈感染状況の分析やリスク評価のために必要な情報に迅速にアクセスできなかった。特に初期にはこの問題は非常に大きかったが、その後もなかなか解消されなかった〉という。
コロナ禍で医療機関のICT化の遅れや、行政の「お役所仕事」を感じる場面は多かったが、何も見えていない感染初期は別にして、情報収集の機能不全が長く続いたのはいただけない(もちろん、必死でコロナに対応した医療の現場や行政の職員には頭が下がる思いである)。
専門家の仕事がアナログ&俗人的に仕事が進められたのは、いかにも日本らしい。情報収集や調査研究で、現地に赴いて直接交渉したり個人的なつてを辿ったり。危機対応の仕組みが貧弱なのも問題だが、未知の事象が起きた際に新しい仕組みを作る人材が不足しているのだろう。
企業の新型コロナへの対応は比較的早かった。短期間にリモートでの仕事に対応し、既存のルールで対応できない部分は柔軟に運用した。そして今も、コロナ禍での経験を踏まえて、働き方のルールを見直す、ICT環境を整備するなど、多くの企業が新しい働き方への取り組みを続けている。
次に同様の危機や大きな災害が起きた場合、リモートワークへの移行、代替手段の確保などで企業はコロナ以前より格段に対応力を発揮しそうだが、医療システムや行政はどうだろうか? ICT化の進展や危機対応力の向上でスムーズな対策がとれるようになっていることに期待したい。(鎌)
<書籍データ>
尾身茂著(日経BP 1980円)