18日、創価学会の名誉会長・池田大作氏が95歳で他界したことが明かされた。岸田首相をはじめ何人もの政党代表が次々追悼メッセージを発したほか、中国の習近平国家主席も岸田首相宛に弔電を送った。読売グループ代表のナベツネこと渡辺恒雄氏(97歳)とふたり「存命する最後の巨魁」として、その健康に注目が集まって久しいが、池田氏最晩年の状況はほとんど外部には伝わらずにいた。今週発売の週刊誌では、締め切り日との兼ね合いで記事が間に合った週刊文春と週刊新潮、そしてフライデーの3誌に特集が載った。
文春のタイトルは『創価学会名誉会長 池田大作“怪物”の正体』、新潮は『カリスマか俗物か 国政を牛耳ろうとしたドン「池田大作」野望の果て』、フライデーは『池田大作創価学会名誉会長が死去 「自民党と創価学会はもう選挙ができない!」』。改めてこの3記事を眺め、意外にも自分がこの「歴史的大物」について、リアルなイメージをほとんど持たずにいたことに改めて気づかされた。テレビの訃報では若き日の演説風景などが多少流れたが、考えてみると過去、テレビでも氏の肉声を耳にしたことは、ほぼ皆無だった気がする。昭和から平成にかけ公明党委員長だった竹入義勝氏や矢野絢也氏については、その声色や語り口がすんなりと思い起こせるが、その「大親分」だった池田氏の姿は、終始ぼんやりと霞がかったままだった。
文春記事によれば、もともと創価学会は日蓮正宗の信者団体で、その昔、会員数は公称140万世帯ほどだったが、池田氏が3代目の会長に就くと、その類まれな「人たらし力」を生かし組織を急拡大(2022年時点の会員数は公称827万世帯)、信者の間では異様なほどのカリスマ性を持つ教祖のような存在になっていった。会長就任から4年後の1964年には公明党を創設、政界にも勢力を拡大した。
とは言っても、その傑出した「人間的魅力」はいわゆる宗教家の荘厳さとは別タイプで、新潮記事は「カリスマの素顔は俗物」「(一度会っただけの会員の顔と名を覚えるなど)田中角栄のような人心掌握術に長けていた」などと説明した。会員向けの演説にいわゆる「説教臭さ」はなく、聴衆を熱狂の渦に引きずり込むアジテーターのような激しさだったという。
しかし、この巨大組織も近年は高齢化が著しく、「中興の祖」亡きあとの衰退が危惧されている。とくに選挙での弱体化に焦点を当てたのはフライデー。1999年以後自民党と組み、与党の一角を占めるようになった(2009~2012年の民主党政権期は除く)ことと、池田氏の教えの核にある「平和主義」「護憲志向」との兼ね合いはできるのか。これまで多くの会員は「池田先生にも何か考えがあってのことだろう」とある種「白紙委任」をしていたが、これからは「自民党の政策と先生の理念とは違う」などと党執行部への批判が噴出する可能性もあると、記事中の宗教ジャーナリストは言う。私自身、翁長知事時代の沖縄で取材をしていたとき、辺野古での座り込みにも加わっていた現地学会員たちの苦悩を人づてに聞いたものだったが、池田氏という「重し」がなくなったあと、これ以上諸々を曖昧にし続けるのは難しいというのである。
文春記事は、現在集団指導体制になっている学会上層部で、中心にある東大閥と対抗勢力の創価大閥の軋轢が顕在化する可能性にも触れている。前者の人々には、自民党との関係を重視する「現実主義」が強いとされ、今後、平和主義などのスタンスが問われ始めると、組織内の権力争いとも相まって、学会の団結が揺らいでゆくリスクがある。維新の会や国民民主党が政権にどんどん「すり寄り」を見せるなか、池田氏の死はこの国の政治構造を揺り動かす「変革期の号砲」にもなりかねない。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。