11月12日(日)~11月26日(日) 福岡国際センター(画像は「NHKスポーツオンライン 大相撲『おすすめ動画』」など)
大関2場所目の霧島が7日目から9連勝して危なげなく2度目の賜杯を手にした。来場所は早くも綱取り。強い横綱は一気に駆け上がるものだが、霧島は初めてのチャンスをものにできるか。今場所は「満員御礼」という割に、客席はまばら。引き技も目立ち、内容的には不満が残った。
来場所に綱取りを賭ける
霧島は4日目に高安(前頭3枚目)、6日目に豪ノ山(同4枚目)に同じような負けを喫した。立ち合いは普通だったが、相手の突きにあっさり落ちて土俵に両手をバタリ。それほど鋭くもない突っ張りだったが、足が付いていかずに前のめりになった。身体全体が緊張してしまうと動きも固くなる。その典型のような取り口だった。先場所カド番を脱して迎えた大関3場所目、いいところを見せよう、受けて立とうと消極的になったのだろう。
<7日目/霧島―翔猿>
4勝2敗となったところで、師匠から「思い切ってぶつかってみろ。勝敗は二の次だ」と言われて緊張感から解放された。翌7日目は、絶えず動き回り、うるさく鬱陶しい翔猿(前頭3枚目)。立ち合いから落ち着いて相手をじっくり見ながら掬い投げで仕留めた。ここからはまったく危なげなく千秋楽まで星を重ねて初の13勝。攻め手の少ない貴景勝、対戦のなかった豊昇龍の2大関を尻目に一段上の番付を目指す筆頭候補に浮上した。ちなみに、この優勝でモンゴル勢「100勝」だそうだ。
悪役と化した豊昇龍
5日目、目を覆うような立ち合いが起きた。豊昇龍は初対戦の豪ノ山との一番で、1分以上にわたって手を付かず館内が騒然とした。2度目の立ち合いも合わず、画面で見ていて情けなくなった。勝負は豊昇龍が豪ノ山の突きを凌いで土俵の外に押しやったが、大関は睨み続けたままだった。年齢的には豪ノ山が1歳上で、出世は豊昇龍のほうが早い。幕の内以下で取り組みがあった形跡はないようだが、遺恨があったのか。それにしても豊昇龍の態度の悪さは叔父の朝青龍譲りで、不愉快極まりない。
<5日目/豊昇龍―豪ノ山>
翌6日目に高安からブタ投げを食らうと館内が湧きに沸いた。土俵の外では人懐っこい笑顔を見せて好感が持てるのに、一気にヒールと化した。この負けから調子がおかしくなり、8日間で5敗。ライバル視する霧島との対戦も見送られて優勝争いから消えた。立ち合い必要以上に時間をかけて相手をじらす力士が近年、非常に多い。高安、熱海富士あたりもそうだ。土俵の上の「たたずまい」は力士の品格。高い地位ほど求められる。この点で豊昇龍は霧島に遠く及ばない。来場所、同じ一番は必ずある。そのときにまた言及したい。
<6日目/豊昇龍―高安>
あの迷行司が大名跡を継ぐ噴飯
しかし、何と言っても腹が立つのは、伊之助の木村庄之助襲名である。しかも定年退職9ヵ月前の昇進というから、開いた口が塞がらない。この人の行司捌きについては多言を要しない。2019年に第41代式守伊之助を襲名して以来、11度の差し違えを誇る行司界の問題児である。声を発すれば「ほ~しょ~ほ~りゅふ~う」(豊昇龍)、力士にぶつかれば土俵下にもんぞり打ってひっくり返り、緩んだ回しを結び直せば自力ではできずに呼出(よびだし)の手を借りたりと、枚挙に暇がない。前述の高安が豊昇龍を投げた一番でも接触。取組後に「行司さんは大丈夫でしたかね」(高安)と心配される始末。
誰の目にも行司最高峰の称号に相応しくないと認める力不足なのに、厳しい稽古と指導で知られる所属部屋の高田川親方は黙認したのだろうか。それがまた理解できない。この煽りを食らって角界を去ったのが、伊之助に次ぐ地位の三役格行司の木村玉治郎だ。64歳の伊之助と62歳の玉治郎。技量といい、風格といい、玉治郎がダメ行司の伊之助を凌駕しているのは明々白々だが、年功序列の世界ではどうしようもない。
伊之助の力量不足は角界でも当然わかっている。協会も伊之助の昇進に諸手をあげて賛成したわけではない。玉治郎を伊之助に挙げ、定年退職後に玉治郎を庄之助にすればよかった。しかし、玉治郎はその3年間でも昇格できないと悲観したと見られている。横綱は照ノ富士で73代。木村庄之助はこれまで37人。行司の最高峰も廃れたものである。
呼出も昇格人事があった。三役格の次郎が立呼出に昇進。この人に限らず、呼出は美声が常識だった昔と比べると、いまの呼出の「呼び出し」は音痴で聞くに堪えず、実に嘆かわしい。力士の技量も低下しているが、行司や呼出など力士を盛り上げる脇役たちの劣化も進んでいる。(三)