サイモン・ヴィーゼンタール・センターといえば、第2次世界大戦後、ホロコーストに関与したナチス高官を世界の隅々まで追いかけた執念の「ナチ・ハンター」にちなんだユダヤ系人権団体だが、日本のメディア界では30年近く前、文藝春秋社が発行する月刊誌『マルコポーロ』がナチスのホロコーストを否定、「ガス室はなかった」とする記事を掲載した際に激しく抗議して、同誌を廃刊に追い込んだ出来事で記憶されている(ちなみにこのときの『マルコポーロ』編集長が、現在月刊『Hanada』を発行する花田紀凱氏だ)。
南米などに逃亡・潜伏したナチス幹部を追うハンターらの活動は、昭和期にはさまざまなノンフィクションや国際ミステリー、映画、劇画などで取り上げられ、戦争中の残虐行為をベースとして、どの作品も明確にナチスを悪玉として描いていた。私自身は行ったことはないのだが、ポーランドのアウシュヴィッツ記念博物館に関しても、人類史的な惨劇の教訓を伝える施設として、その存在価値に疑いを持ったことは一度としてなかった。
現在でもそうした歴史認識は基本的に変わらないが、イスラエルによる今回のガザ侵攻・大量殺戮について、同センターはこれを批判する人々の発言や抗議行動に「反ユダヤ主義」、すなわちナチス同様のユダヤ人差別思想とレッテルを貼り、糾弾する立場をとっている。アウシュヴィッツ博物館の声明も、ガザの惨劇の責任をすべてハマスに帰し、イスラエルを正当化する。そのほかドイツや米英の政府・政治家の談話にも、ガザ侵攻を止めようとする街頭での抗議行動を、「反ユダヤ主義」と決めつける言葉がよく聞かれる。
最近のこうした光景に、私は欧米リベラルへの止めどない幻滅を覚えている。ホロコーストの惨劇は人類全体の普遍的な教訓として、伝えられてきたものではなかったのか。その価値観に照らせば、「罪のないガザ住民の大量殺戮」がホロコースト同様の不条理であることは明々白々だ。一面では人権思想を唱えつつ、その裏では奴隷制や帝国主義を進めてきた欧米の歴史的欺瞞は十分認識してきたつもりである。だが「ホロコーストの記憶」にこだわりを見せるような人々に限っては、そうした二面性を批判的に見るスタンスだと勝手に思い込んでいた。今回、さまざまに報じられる欧米での声明や公式発言で「欧米の良心」に抱いてきた期待や信頼は一気に失われた。
今週のニューズウィーク日本版は、『強面ネタニヤフが一時休戦を受け入れた理由』あるいは『アルカイダの手紙がいまバズったのは』という記事で、ガザ侵攻の問題を取り上げている。だが、前者の分析はあくまでも中立的な両論併記のみ。後者の記事は9・11の翌年に公表されたアルカイダの声明(内容はパレスチナ問題を含む欧米への批判)がここに来てSNSにより若者の間で拡散されている、という話だが、筆者は「断片情報に惑わされてはならない」と拡散を鎮めることに躍起だ。
イスラエルとハマスはお互い、民間人殺害という部分で非難される立場だが、殺害や暴力の規模、歴史、さらには土地の略奪という要素を考えると、両者による加害の度合いには雲泥の開きがある。目下「現在進行形」で日々、死者の数を積み上げているのもイスラエルの側だ。そもそも論で言えば、先住者のいる土地に一方的に国をつくってきた参入者の集団に正義があるとはまったく思えない。にもかかわらず、多くの米国人がそれをはっきり言えないのは、「あなたたちの国が誕生した経緯は?」と問い返されることを恐れてのことだろうか。そんな「邪推」が生まれてしまうほど、この件の「欧米世論」には欺瞞が満ちている。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。