日大アメフト部の大麻問題に関連して、文春に直撃取材を受けた日大理事長の作家・林真理子氏が、同誌に連載するコラム『夜ふけのなわとび』でその件に触れた。前号の『日大アメフト“大麻汚染”林真理子理事長vs.副学長澤田康浩 暗闘と無策400日』という記事は、タイトルにこそ「無策」という挑発的な語句が使われたが、本文の筆運びは抑え目で、さほど辛辣なくだりはない。そのことが奏功した面もあるのだろう、林氏のコラムにも激しいトーンはなく、「さすが『親しき仲にもスキャンダル』がモットーの週刊文春らしく、コワい私の顔のアップもばっちり。事実と違っていることはいくつもあるけれど、係争中の身の上ゆえ、何も言えない」という程度の言及に留めている。


 むしろ彼女が強調したポイントは、大学運営より、周囲から「週刊文春だとか週刊新潮と親しいんだから、記事を押さえられるでしょう」と見なされることへの苛立ちだ。「私はこの件に関して、文藝春秋の社長や編集長、現在の担当者に連絡したことは一度もない」と言い、前号記事の取材で編集部から受けた電話にも、彼女はきっぱりこれを撥ねつけたと主張する。


 思い起こせば9年前、タレント・やしきたかじん氏が他界する直前に氏の懐に飛び込んで入籍、その遺産を相続した若い後妻を極端なまでに美化して描写した『殉愛』という「ノンフィクション作品」がたかじん氏の遺族の猛反発を受ける騒動があった。筆者は小説家の百田尚樹氏。そのあまりにも「後妻ベッタリ」の内容はネットでも大炎上したのだが、文春など主要週刊誌は一様にこの騒動を黙殺、これを見た林氏は「(文春など各誌はもう)ジャーナリズムなど名乗らないほうがいい」と百田氏への露骨な忖度を痛烈に批判した。これに対し、文春の元編集長で右派月刊誌(当時は『Will』、のちに『Hanada』)を発行する花田紀凱氏は「(出版社が)プラスマイナスを総合的に判断すれば(売れっ子作家の醜聞を)書かないのは当然」と身も蓋もない言い方で林氏に反論した。林氏はしかし、その後も文春が北野たけし氏の愛人問題(事務所独立問題)で沈黙を続けると、再度これを批判してみせるなど、「作家タブー」の弊害を一貫して訴え続けてきた。


 そんなこれまでの経緯もあり、日大問題で「渦中の人」となったからと言って、「よくも私を批判してくれたな」というキレ方はできなかったのだろう。正直、麻薬問題への対応では「その場しのぎの後手後手感」が否めない彼女だが、自身の持つ「作家タブー」の影響力を封印し、批判に甘んじる潔さ、その一点に関しては、なかなか見上げた根性だと思っている。


 一方、今週のサンデー毎日には、何ともやるせない記事が2本載った。ひとつは前号から上下で掲載された『水道橋博士の議員失格』。前回(上)の「ボクがたった3ヵ月で参院議員をやめた本当の理由」に引き続き、今週の(下)の見出しは「こうしてボクは底なしの奈落に誘われていった」。そう、先の参議院選挙でれいわ新選組から当選を果たしながら、複合的なストレスから持病の鬱病を発症してしまった博士の回想記だ。


 もう1本は10年前、連日の過酷な残業により31歳の若さで急性心不全となり、過労死してしまったNHK記者・佐戸未和さんにまつわる『過労死防止法制定から10年――社会は変わったか NHK31歳記者の死と家族の10年』だ。水道橋博士にせよこの佐戸さんにせよ、自ら望んで激務に身を投じたが、想像以上に過酷な環境に心身をすり減らし、深刻な結果に陥ってしまった。働く環境の問題ももちろんあるわけだが、限界を超えた過酷さから身を守る「敢えて落伍する勇気」も時に当事者には求められる。何にせよ、読後感の重い、沈鬱な記事だった。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。