新聞記者として九州に赴任した20年ほど前、幕末の歴史紀行のような連載を思い付き、口にしたところ、地元の先輩記者たちから「とんでもない」という反応が返って来た。 


 山口や鹿児島の読者には、司馬遼太郎などの歴史小説を読み漁る幕末マニアが山ほどいて、ちょっとした記述ミスひとつで蜂の巣をつついたような騒ぎになる、というのである。雑談は途中から脇道に逸れ、ひとりの同僚が「そもそも司馬遼太郎が気に入らない」と言い出した。聞けば彼は、薩長に滅ぼされた会津の出身者だった。 


 かと思えば、先日、取材で訪れた会津若松市の書店では『明治維新という過ち』という刺激的な書名の本が売られていた。それによれば、松下村塾の実像は、ただの乱暴者の集団で、それを明治維新以後、長州人が妙に神格化してしまったのだという。 


 とまぁ、先の大戦の話にとどまらず、歴史談義は時に人々を異様に熱くする、ということを改めて思い出したのは、今週のポストの記事がきっかけであった。『NHK大河『花燃ゆ』に群馬県民が「長州許せん!」』。本年の大河主人公は、吉田松陰の妹。やがて、その再婚相手となる準主役・小田村伊之助(のちに楫取素彦と改名)は、群馬県令となり善政を敷く人物として、若き日の姿も好意的に描かれている。 


 だが記事によれば、群馬の一部には、住民の反対を押し切り県庁を高崎から前橋に移してしまった横暴な県令として、楫取を恨む声もあるのだという。正直、よそ者にはどうでもいい話だが、近ごろの大河ではホームドラマ的な親しみやすさを重視するあまり、キャラ設定を作りすぎている、という批判が多々聞かれる。あらゆる事柄に人々の“非寛容”が強まっている昨今、“フィクションの盛りすぎ”は少々、リスキーかもしれない。 


 新潮では2つの記事が目にとまった。ひとつは『往年の過激派とは隔世の感!中核派「全学連」若者たちの本音』。資本論を読まず、スマホのゲームにはまり、酒よりもパフェを好むなよなよとした“今どきの過激派”。そんな描写には、新潮らしい左翼への敵意より、拍子抜けしたような脱力感があふれている。 


 片や、似たカテゴリーに思える記事『「日教組」教研集会で発表された亡国の授業光景』には、寛容さは全くない。AKB現象と援助交際の類似性を論じた発表や、ヒトラー風の髭をつけた安倍首相の似顔絵を校内に掲げた組合活動の発表事例など、取り上げられたエピソードは確かに、いかがか、と思えるケースだが、一方で、限られた事例で日教組の活動を「亡国の企み」とまで言ってしまうスタンスにも、ほんまかいな、という思いが湧く。 


 現在の学校現場にはおそらく、右派の“トンデモ教師”だって大勢いるはずだし、左右関係なく性的にただひたすらハレンチな教師の犯罪も年中報道されている。学校教育や教師のレベルが“亡国の危機”にあるのだとすれば、それは左方向だけでなく、“全方位”に向かって壊れているのである。 


 権利ばかりを教えた左翼教育が日本人をおかしくした、という新潮・文春お得意の論法は、愛国心溢れる理想的な大人(?)に育った人々が、街頭で聞くに堪えないヘイトスピーチをまき散らす光景で打ち砕かれたように思えるのだが、それでもなお、「愛国教育の徹底」こそが、最重要課題なのだろうか。 


 文春のコラムで林真理子氏が、こう綴っている。


《ネットによって人の心は相当に変わってきたと私は思う。それも悪い方に、急激に》


 だとすれば、週刊誌もそろそろ、必要以上に思想的憎悪を煽り立てるスタイルはその役目をネットに譲り渡し、むしろ憎悪の増殖を抑える側に回るべきではないだろうか。 


 そんなことをしたら売れなくなる? いや、“憎悪の煽り”を好む階層はもうとっくに、紙媒体など読みはしない。数少ない“読書人階級”には、ネット世論の暴走に違和感をもつ人々が比較的多く残っているのだから、寛容さへの路線変換は、ビジネスのうえでも正しい選択ではないか。そんなふうに思えるのである。 

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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。