日々患者と接する医療や介護の現場の方は別にして、一般の生活者にとってコロナ禍のドタバタは少し前のことになりつつある。しかし、思い起こせば、コロナ禍の3年間、次々に打ち出されるコロナ対策や政策に疑問符を感じる場面は多かった。
コロナ禍が始まった頃のなかなかPCR検査が受けられない状況、何度も繰り返された行動制限、根拠がよくわからない濃厚接触者の定義、感染症法上の「2類相当」への固執……等々、医療関係だけでもいくつも出てくる。
迷走したコロナ禍における医療政策を軸に、厚生労働省の構造的背景、医系技官の罪と罰などを論じたのが、『厚生労働省の大罪』である。
東大医学部と東大医科学研究所および国立感染症研究所との関係、陸海軍の病院がルーツとなっている国立病院の背景等々、「感染症ムラ」の歴史的背景も記されている。
著者は、〈日本の新型コロナ対策の最大の問題は、結核対策や赤痢・ジフテリア対策などと同じように、強制隔離を基本とした明治以来の古典的な感染症対策を押し通したことだ〉と見る。潜伏期間があったり、無症状の感染者がいるなかでは、〈PCR検査をして感染者を見つけ出すのが世界標準だったが、わが国では、科学的な判断をしなければならないはずの医系技官が、率先してPCR検査を抑制した〉。中国や韓国は早い段階で国民がPCR検査を受けられる体制を整えている。
ほかにも、〈感染研関係者が新型コロナに関して発表した論文は異様なほど少ない〉、〈検査法や治療薬の国内開発にこだわった〉、〈疑心暗鬼をあおり自殺者まで出した「積極的疫学調査」〉……コロナ禍における数々の問題点が指摘されているが、あれこれ負の側面があったとしても、コロナ対策は全体としてはうまくやったのではないか、という印象を個人的には持っていた。
■病床不足のなか存在した「幽霊病床」
しかし、本書では看過できないような指摘もされている。
ひとつは、巨額の予算や補助金がついた「感染症ムラ」や国立病院、大学病院だ。
もちろん、お金のついた目的に従って適切な研究やコロナ患者への対応を行った医療関係者への配分がなされていれば問題ない。
だが、補助金をもらっているのに病床を利用していない「幽霊病床」が多数存在していた。病床が足りないと騒がれていたなか、全国で57病院を経営する、独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)では多くの空床を有しており、批判された。
大学病院は施設によって受け入れ率が大きく分かれた。慶應義塾大学、順天堂大学のように100%を超えて受け入れた大学病院がある一方で、本書に掲載されたリストによれば、5~6割にとどまった病院ある。
コロナ禍で大きく膨らんだ、各省庁が積み立てている「基金」について、河野太郎行政改革担当相が、点検や見直しする意向を示したが、さまざまな病院にバラまかれた補助金等についても、適切に使われたのかレビューしていく必要がある。コロナ禍前に赤字だった病院が次々と黒字化したのにも違和感がある。〈新型コロナ補助金が目的外に使われた恐れもある〉という。
もうひとつ、気になったのが〈日本の超過死亡が非常に多いこと〉。コロナによる死者の増加を原因とする報道が多かったが、著者は〈自粛に伴う高齢者の健康状態の悪化〉を疑う。2年連続で日本人の平均寿命が短くなるなど、気になる状況が続いている。超過死亡の数は落ち着いてきたが、超過死亡が多かった原因をきちんと検証して、今後のパンデミック対策に生かしていく必要がある。
個人的に参考になったのは、オンライン診療を医師不足の地域に用いる視点だ。コロナ禍で一気に普及するかに見えたオンライン診療だが、平時モードになるとともに一気に沈静化した(ついにオンライン診療を受けるチャンスがなかった)。
しかし、東北地方やへき地、離島など医師不足に悩む地域でオンライン診療を用いれば、医師不足に関係する多くの課題が解決できるはず。ただ、オンライン診療が認められれば、医師は競争原理に晒される。〈オンライン診療の普及がいっきに進まないのは、厚生労働省を筆頭に、既得権を失う「医療ムラ」の住人が、急激な変化に抵抗しているからだったのではないだろうか〉という著者の指摘の通りだろう。
ワクチンメーカーほか製薬会社をめぐる問題点や尊厳死・安楽死問題など他の論点も満載。厚生労働省や医系技官の罪と罰がどの程度だったかは議論の余地があるが、日本の医療政策の問題点や利権の構造を知るには、格好の1冊である。(鎌)
<書籍データ>
『厚生労働省の大罪』
上昌広著(中公新書ラクレ946円)