週刊文春が年内発売の最終号で超弩級の「文春砲」をぶっ放した。『呼び出された複数の女性が告発 松本人志と恐怖の一夜「俺の子ども産めや!」』。本欄で過去、何度も書いたように、私自身は不倫だの破局だのという「芸能ゴシップ」に興味は持たないが、今回の記事は事実なら「性加害」と呼ばれる部類のスキャンダルだ。


 松本氏が所属する吉本興業は早速、「(報じられたような)当該事実は一切なく(略)法的措置を検討していく」と否定。今後の展開は、松本氏・吉本側、文春側双方にとって、組織の命運をかけた「死闘」になりそうだ。「人の噂も七十五日」で済むような、書きっ放し、書かれっ放しで流れてゆくゴシップではない。


 何よりも世間の目が「ジャニーズ以後」の感覚に切り替わった影響は大きい。前回も触れたように、昨年噴出した統一教会問題や今春からのジャニーズの件、あるいは現在の自民党裏金疑惑など、このところ「強者にまつわるタブー事案」が容赦なく打ち破られ、その周囲で「見て見ぬふり」をしてきた人の責任が問われるようになっている。とくにマスコミにはその点での突き上げが激しく、ジャニーズ問題では、過去これに触れずにきた主要メディアが軒並み釈明や謝罪に追い込まれた。


 そんな世の変化を受けての「松本ケース」である。文春発売日、NHKを含むテレビ各局や全国紙は、文春側、吉本側の言い分を並べるだけのスタイルだが、それでも当日中にこの件を報じた。今後も当事者の会見など節々の出来事は逐一報道するはずだ。その点が以前とははっきり変わっている。


 もちろん、ことの真偽はまだ不明である。文春にしてみれば、これが誤報と結論付けられた場合、雑誌の存亡にも関わる大失態となる。慎重のうえにも慎重を期した報道だったはずだ。それでも「文春敗北」のパターンがあるとするならば、記事に登場する複数の「性加害パーティー」を証言した当事者らが、実は秘かにつながりを持っていて、示し合わせて文春に偽証、編集部がまんまと引っかかったケースくらいだろう。


 文春としては名誉棄損を問われた際、情報を「真実と信ずるに足る相当な理由」があったと示さねばならないが、録音やメールのやり取りなど核心に迫る物証が果たして続報で出てくるのか、各証言者が実名で被害を訴える展開もあり得るのか、そういったことと次第で記事の信憑性は大きく左右される。「当該事実は一切ない」という吉本も、パーティー開催そのものを虚偽だとしているのか、「パーティーは開かれたが、記事内容のような出来事はない」という主張なのか、文春の「手の内」を見てからの方針決定になろうが、そういった今後の戦い方次第で彼らの印象も変わってくる。


 なお私は、昨今の「強者タブーの崩壊」を歓迎する立場だが、今なお残される最大級の課題に「警察・検察の闇」があると思っている。東京地裁は27日、軍事転用可能な機械を中国に輸出したとして摘発した大河原化工機への違法捜査を認めた。半世紀以上かけ弁護側が冤罪を主張する袴田事件では、警察が当初、証拠を偽造した疑いが濃厚だ。前官房副長官・木原誠二氏の妻が氏との再婚前、前夫と不審な状況で死別した案件では、警視庁が遺族の告訴にもかかわらず早々に「事件性なし」と決めつけた。この件の再捜査に数年前、深く関わった元捜査員は、実名でこれに異議を唱えている。このように検察・警察がらみの案件では、現在でも不可解な出来事がいくつも手つかずのまま残っている。


 ちなみに、この夏に文春が掘り起こした木原氏のケースでは、他メディアもこれを黙殺せず概略を報じている。それでもその姿勢はあくまで独自取材に踏み込まない「両論の紹介」だけ。今回の松本氏のケースも各社第1報は同様のスタイルで、もしかすると今後もそういった「アリバイ的報道」に留まるのかもしれない。各メディアが、さまざまなタブーに甘んじた過去を本気で反省するならば、どの社もいずれかの段階で独自取材に切り込む必要がある。来年はぜひ、今年以上に「タブーが打ち破られた年」になってほしいと切に願う。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。