ダウンタウン・松本人志氏をめぐるスキャンダルで、ライバル誌『週刊新潮』が「球界、サッカー界も戦々恐々……『松本人志』騒動“5つの謎”」という特集を組んだ。論点は①「松本氏vs.文春」の裁判の見通し、②被害女性による「お礼LINE」の持つ意味、③過去の芸能人スキャンダルとの比較、④「ホテル部屋飲み」という「遊び方」の特殊性、⑤元芸人・島田紳助氏のような引退もあり得るか――の計5点だ。過去の各種スキャンダルで、しばしば他メディアとは「逆張り」のスタンスもとってきた新潮だが、今回のケースに関しては「文春優勢」という見方を示している。


 松本氏擁護論者の大半は「性的関係を強要したか否か」がこの件の「核心部」で、文春が法廷で「強要」を立証できなければ松本氏は「シロ」だと主張する。しかし、新潮記事は専門家の談を引き、「強制性の有無は曖昧なまま裁判では文春が勝つ」可能性が強いとの見方を示している。争点はあくまでも文春記事による名誉棄損であり、記事にある女性証言の信用性を否定するためには、松本氏の側がその具体的論拠を示さねばならないという。


 これまでの文春報道では、飲み会で性的関係を迫られたという女性らが帰り際、タクシー代として後輩芸人から数千円~1万円を手渡されたと証言しているが、新潮記事はこのように少額の金銭しか渡さない「遊び方のセコさ」もまた、女性らに悪感情を残す一因となったのではないかと推測する。


 当の文春は第3弾の記事として「6、7人目の証言者が──松本人志 ホテル室内写真と女性セレクト指示書」を掲載した。新たな証言者は福岡での飲み会に呼び出され、自身は別室で後輩と飲む間に、同行した友人が松本氏の寝室に引き入れられ、氏と性的関係を持ったという。もうひとり別の証言者は、都内での飲み会で寝室での要求を拒否、他の参加者の面前で罵倒されたと語っている。この記事で示された「新たな物証」は、飲み会の手配をした後輩芸人が周囲に見せていた女性集めのための「指示書」である。そこには松本氏の筆跡とよく似た字で「マクドナルド スタバ(の店員) 高校や中学の先生 べんごし……」などと「用意すべき女性の職業」が列挙されているという。


 こうして一連の報道を見てゆくと、文春の主眼は必ずしも女性各人への「性交渉の強要」にはないことがわかる。証言者の中には、密室での性的な要求を拒み通したという女性たちもいる。文春が一貫して論じるのは、松本氏や後輩芸人による「飲み会」システムの異様さであり、数々の証言によりそういった会が何度となく開かれてきたことは、おそらく事実だったのだろうという受け止めが広がっている。


 これに対し、ここ何日か目立つ松本氏擁護論は、「個人のプライバシーを暴き立て、当事者を不幸にする週刊誌報道(文春報道)」の行き過ぎ、あるいはその規制を主張する声だ。しかし、不倫や熱愛等々の個人的ゴシップならいざ知らず、今回のような犯罪スレスレの集団的な話はまた別だ。「文春が正義を押しつける風潮はおかしい」と彼らは言うのだが、近年の文春の突出は、何よりも文春以外のメディアの「事なかれ主義」にこそ原因がある。文春がもし存在しなければ、統一教会やジャニーズの問題は今もなお、闇に包まれたままだったかもしれない。


 今回の報道におかしな点があるのなら、具体的にその部分を指摘すればいい話だ。「文春を黙らせろ」的な物言いは、横ならびの忖度を強要する「強者をこそ守る論理」に他ならない。今回とくに引っかかったのは、元キャスター・古舘伊知郎氏が発した「(文春報道は)かなりの人を不幸に叩き落している」という言葉だ。松本氏や吉本関係者、あるいはジャニーズや宝塚幹部にしてみれば、その通りなのだろう。だが、古館氏はその陰で長年苦しんできた「メディアが報じないことにより泣き寝入りしてきた人々」の存在やそのことへの自責をすっかり忘れている。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。