1月14日(日)~1月28日(日) 東京・両国国技館(画像は「NHKスポーツオンライン 大相撲『おすすめ動画』」など)


 照ノ富士が4場所ぶり9度目の賜杯を抱き、目標とする優勝回数2ケタに王手をかけて初場所を終えた。大関ら役力士の壁になる一人横綱の奮闘が際立った。途中休場が大量7人、そのうち2人が再出場しその1人は再休場で番付が混乱、普段の場所なら当たらない役力士との対戦に下位力士が割りを食うなどバタついた場所だった。



足蹴りに激怒! 横綱仁王立ち


 久しぶりの土俵となった照ノ富士、2日目に早くも土が付いた。関脇の座を明け渡して平幕に落ちた若元春(前頭筆頭)は今場所、心機一転、前に攻める相撲で横綱に挑み、2分近い熱戦を制した。横綱は相撲勘が戻っていないのか終始劣勢で早くも暗雲が垂れ込める。


 前半戦を4勝1敗で凌いで迎えた6日目、クセ者翔猿(前頭4枚目)との一戦。例によって激しく動き回る小兵の張り手で指が目に当たり、足蹴りを食らうに及んで横綱は冷静さを失う。最後は何とかまわしを取って押し出したが、土俵を割った飛猿の首根っこに腕を伸ばしてダメを押すと、最後は睨み返して仁王立ち。取り組み後、通路に置いてある端末のVTR画面の机を「バンッ!」と手で叩くなど怒りが収まらない。支度部屋に戻った後、「格下相手に熱くなった自分が恥ずかしい」と猛省。冷静になり、横綱の品格を取り戻した。



落ち着き払った琴ノ若


 横綱を先頭に大関、関脇の看板力士が番付どおりに優勝を競う展開は久しぶりで、終盤3日間は特に見応えがあった。土俵の充実には上位陣の活躍が不可欠という、角界の常識を再認識させられた。なかでも「準優勝」した琴ノ若の成長ぶりは目をみはる。189㎝・177㎏の体格は、照ノ富士に3㎝・1㎏劣るがほぼ同じ。親子3代の相撲一家で角界きってのサラブレッド。人品骨柄は申し分なく、土俵上の力量だけが課題だった。


<14日目/霧島―琴ノ若>


 昨年までの1~2年は、昇進レースを競った現大関2人と大栄翔、若隆景、若元春の5人が長く関脇の座を独占したため三役が遠く、その煽りを受けた。ただ、恵まれた体格を生かせない立ち合いの迫力不足で積極性に欠けていたのも事実。しかし、競争相手が昇進・脱落して見通しが開けたこの数場所で好成績を挙げ、3月場所での大関昇進を確実にした。四股名はおそらくそのまま、横綱昇進で「琴桜」を襲名するだろう。実父が名乗った「琴ノ若」に箔をつけ、祖父の行跡を継ぐと想像するからだ。


取り逃がした霧島、課題が鮮明に


 今場所の注目は霧島の横綱昇進だったが、審判部が千秋楽後に「白紙」と断じた。4日目に翠富士(前頭2枚目)、8日目に翔猿と軽量の力士にいずれも引いて墓穴を掘ったのがまずかった。先場所も中盤までに2敗して師匠からカツを入れられると持ち直して優勝したが、横綱が復帰した今場所、終盤にかけて楽な相手は少なかった。平幕2人への引き技と照ノ富士にぶん投げられた千秋楽の3番は、内容が悪すぎる。


<4日目/霧島―翠富士>


 運動神経がよく、相撲の流れで勝っている印象が強い。琴ノ若には力負けした。負けた4番を見れば、審判部の指摘は正鵠を得ている。豊昇龍にも共通するが、勝ちパターンが確立できていない。それに145㎏の体重を少なくとも15㎏程度増やさなければ、技が切れても土俵の外に持って行かれてしまう。体格に恵まれた琴ノ若が、今後の精進次第では一気に先輩2人を抜く可能性もある。


最悪コンビが締める結びの一番


 結びの一番は、立行司と立呼び出しが務める。14日に始まった1月場所の初日、最後の取り組みは当然ながら一人横綱の出番である。土俵中央に上がった次郎の声は、この世のものとは思えなかった。名状し難いと云うべきか。音程は大きく外れ、声量は弱々しく、これから上がってくる力士の四股名は聞き取れなかった。次郎一世一代の呼び出し、と妙に感心してしまった。


 そして我らが第38代木村庄之助の登場。見ているこちらの血圧が上がるほど紅潮し歪んだ表情で、ハヒフヘホ調で四股名を呼んだ。照ノ富士は「てっるのっふっじっひー」と聞こえる。ここまで節(ふし)をつけるのは、この人だけ。独りよがりも甚だしい。次郎も庄之助もこの1年で定年を迎える。協会が温情で最後のご奉公に昇進させたが、その裏で失意のうちに角界を去った行司が1人いたことを忘れてはならない。今年は我慢するが、この程度の力量で昇格させる悪習は改めてほしい。


<木村庄之助(上)、次郎>


 番付社会の世界で、あからさまな年功序列がまかり通る。呼び出しも行司も、仕事は土俵の上に限らないが、年功序列の言い訳にならないのは当たり前。歴代横綱の数より少ないのが大名跡の庄之助である。相撲は神事で、行司や呼び出しは勝負事を盛り上げる補佐役との考えは理解できるが、ものごとには限度というものがある。決して誹謗中傷ではない。みっともないのはみっともないのだ。(三)