この原稿を書いている18日午前、参議院では安保関連法案の可決が目前に迫ろうとしている。で、その少し前の段階で発売された今週の主要4誌に目を通しているわけだが、正直、面白くない。 


 安保法制に批判的な立場の私だが、賛成派の記事でも説得力があれば、知的好奇心をくすぐられる。だが賛否両論とも、内容はかなり薄い。新潮は例によって反対派を批判・嘲笑する特集を組んでいるが、コメントを寄せるのは、日大の百地章教授や京大名誉教授の中西輝政氏など日本会議系の“おなじみの顔ぶれ”だ。 


 前者は、集団的自衛権を合憲とする国内“超少数派”の憲法学者として一躍有名になった人物だし、中西氏は今春、歴史認識を議論する安倍首相肝入りの懇談会においてすら、日本の侵略性を否定する少数論者として異彩を放った人である。彼らはいつも通り“彼ららしいコメント”を発している。 


 安倍首相は法案への理解が広がらない理由を「戦争法案」や「徴兵制」などという“間違ったレッテル貼り”によるものだと主張する。だが批判派の知識人やシールズなどの発言をネットや文献で追えば、そんなレベルの議論はほとんどないことがわかる。一部徴兵制に言及する論者も、アメリカで格差社会の中、兵役にすがる貧しい若年層の実情を「経済的徴兵制」と呼ぶ現地での議論に触れ、危惧を示しているだけだ。 


 中心的な論点は、憲法学の権威が揃って指摘する「立憲主義の破壊」であり、9条そのものに関しては、適正な手続きと納得できる内容があれば、見直しを認めている論者も少なくない。少し調べればすぐにわかることだ。しかし、政権は必死になって反対派を「平和ボケのお花畑」と印象づけようとする。いったいどちらが「レッテル貼り」をしているのか、と思わざるを得ない。 


 というわけで、1本だけ、気になった記事に触れておくと、ポストで始まった佐野眞一氏の新連載『一九六〇唐牛健太郎と安保の時代』がそれだ。55年前の安保闘争を率いた北大出身の全学連委員長・唐牛健太郎の評伝である。 


 書き出しは現在の国会前に集うシールズの姿と55年前を重ね合わせて始まるが、そんな巡り会わせになったのはあくまでも偶然。佐野氏は少なくとも2年以上前からこのテーマを追っていた。 


 なぜそれを知っているのかと言えば、私もまた、47歳の若さで世を去ったこの人物を描いてみたいと思っていたからだ。昨年秋、それまでの仕事に区切りをつけ、新テーマのリサーチで先行する佐野氏の取材活動を知ったため、私は別テーマに取り組むことにした。ちなみにこの唐牛に関しては、その昔、沢木耕太郎氏も「将来、書いてみたい人物」と繰り返し語っていた。 


 佐野氏がどう彼を描くのかは、連載を読み進めなければわからないが、少なからぬ人が唐牛の人生に惹き込まれてしまうのは、60年安保での“活躍”のためではない。学生運動の仲間がその後、学者や文化人として名を成してゆく一方、公務執行妨害などで服役した唐牛は、北海道の紋別から与論島まで辺境を放浪し、漁師や土木作業員など肉体労働者として一生を送った。 


 女子学生の犠牲者を生んだ安保闘争への贖罪か、労働者であり続ける矜持だったのか。私もまた「その後の人生」に興味を持ち、掘り下げてみたいと思ったのだった。 


 時事的なレポートでもノンフィクション作品でも、とにかく雑誌には「読み応えのあるもの」を期待したい。それこそがネット時代にあえて、紙の媒体が存在する理由だと思うからである。 

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三山喬(みやまたかし)  1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。