目下、個人的に最も関心のある「時事ネタ」は、『日本テレビ』のドラマ「セクシー田中さん」のマンガ原作者だった芦原妃名子さんが、ドラマでの原作「改変」にさまざま抵抗した末に、自ら命を絶ってしまったショッキングな出来事だ。1月29日(月)に発生したばかりのニュースであり、今週発売の週刊誌には出て来ないが、来週の各誌がどのように取り上げるか、目が離せないと思っている。


 というのもこのテーマ、もしかしたら出版界にとってもある種「タブー」に触れ、週刊誌報道では「腰の引けた追及」しかなされないかもしれないと心配するからだ。ここ数日のネット報道を見ていると、マンガや小説のテレビドラマ化では、この手のトラブルがままあって、「超大物」の原作者でもない限り、テレビ局側が「ドラマ化して本が売れるのは、そちらにもおいしい話でしょ?」と、原作者を軽んじる姿勢をとることは珍しくないという。


 芦原さんの場合は雑誌連載がまだ継続中でもあり、ドラマ化の承認時に「原作に忠実に」という合意がなされたという。にもかかわらず、現実には受け入れ難い改変が随所で行われ、とくに雑誌の終わり方にも関わってくる最後の2話にあたっては、1話からの脚本家と折り合いがつかなかったのか、芦原さん自身が脚本を書く格好になった。かたや脚本家のほうは、そのことへの不満をインスタで漏らしていた。


 一連の顛末が目下、大炎上しているのは、芦原さんを追悼する日テレの公式見解が、こうした芦原さんの葛藤・テレビ局側との確執への自社責任をほとんど認めずにいることだ。出版側の人間の私にはそれ以上に、芦原さんと一緒に「ドラマ化の条件」を交渉した原作版元の小学館が、芦原さんの無念さを慮るどころか、「多大なご功績に敬意と感謝を表し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」と、冷淡な談話しか出さなかったことがショックだった。


 マンガや小説が映像化すれば、作者のみならず出版社にも相応の利益がある。多くの執筆者や作品を抱える大手の出版社であればあるほどに、そのルートはビジネス上大切なものになっている。たとえ個々の原作者がドラマの脚本に不満を抱いても、テレビ局や脚本家と「あまり揉めてほしくない」というのが本音だろう。となれば、他の出版社がこのケースを雑誌で報じるにあたっても、果たしてどの程度「ドラマ化問題の構造的な闇」に切り込めるか、もしかすると「こだわりすぎる原作者」「極端にナイーブな人」という側面を強調し、テレビ局側の落ち度を矮小化する可能性もあると思っている。


 今週は、松本人志氏を追及する『週刊文春』に続き、『週刊新潮』もビッグネームの「性加害疑惑」を報道した。「サッカー日本代表の『イナズマ』が刑事告訴された 『伊東純也』の“準強制性交”」という記事だ。伊東氏はこの報道によって、現在アジアカップ参加中の代表チームを離脱したが、大阪府警に彼を刑事告訴した女性2人に対してはその言い分を「事実無根」とし、伊東氏の側も2人を虚偽告訴容疑で逆告訴、全面対決する姿勢を見せている。


 古い記事になるが『ニューズウィーク日本版』2020年2月26日付記事によれば、2007~2011年の法務省統計にある強制性交(強姦)の推定被害者のうち、警察に被害届を出し受理されたのはわずか4.71%。現実には明白な証拠に乏しいと警察の窓口で届はなかなか受理されず、そういった「ハードルの高さ」から事件化をはなから諦める「泣き寝入りの風土」が日本には存在する。だがそれも、ジャーナリストの伊藤詩織さん、自衛官・五ノ井里奈さん、ジャニーズ被害者らの闘いの影響で変わりつつあるようだ。


『週刊現代』の記事「元吉本芸人が顔出し実名出告白!『芸人の遊びかた、ほんま無茶苦茶です』」によれば、文春が報じた松本氏の「飲み会」のような強引な「遊び方」は、彼以外の芸人の間でも日常茶飯事だったという。それがもし事実で「泣き寝入りの風土」が実際、変わりつつあるのなら、今後似たような醜聞が次々暴露され、糾弾されてゆく事態もあるのかもしれない。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。