日本テレビ『セクシー田中さん』の原作者でマンガ家の芦原妃名子さんが、ドラマ化に伴う内容改変に苦悩・葛藤して命を絶った問題で、悲劇から1週間以上沈黙を続けてきた当事者のうち、脚本家の相原友子さんと原作版元小学館の「編集者一同」が8日、それぞれにようやくネット上で「思い」を表明した。


 今回の悲劇はドラマの終了後、脚本に再三異を唱えた芦原さんの行動に、相原さんがインスタで不満を漏らしたことがきっかけとされているが、相原さんは芦原さんが死の直前、ブログに綴った説明(ドラマ化の条件として「原作に忠実に」という取り決めがあったのに、これが守られず苦悩したことなど)を読み、「初めて聞くことばかり」「言葉を失った」と明かしている。一方、原作者を支えるべき立場にいた小学館は、社としての事情説明はないままだが、ここにきて一転、「編集者一同」による「このようなこと(脚本に修正を求め続けてゆく苦痛)を(芦原さんに)感じさせたことが悔やまれてなりません」という声明をホームページに掲載した。


 こうして今や日テレだけが沈黙を続ける格好になったのだが、今回のドラマ化をめぐる意見対立の具体的中身、あるいは最後の2話の脚本執筆者がどのようにして相原さんから芦原さんに代わったのか、といった詳細はまだ何ひとつ明かされていない。今週はそんな空白を埋める情報への期待もあり、週刊誌各誌に目を通したが、残念ながら最も取材力のある『週刊文春』はこの問題をスルー。『週刊新潮』は「原作者死去『セクシー田中さん』問題で見えた『日テレ』の限界」という記事を載せたものの、取り立てて新事実はなく「数々のトラブルが起きていたのは間違いないだろう」「ことの仔細は日テレと原作の版元・小学館の見解が待たれる」というだけに留まった。


 日テレ内部にはもちろん堅く緘口令が敷かれていて、取材の難しさは容易に想像できるのだが、文春のスルーは果たしてその「保秘の壁」による取材の難航が原因か、それともドラマ化の原作問題は小説でもあり得るというテーマのデリケートさから「出版界全体のタブー案件」として取り上げなかったのか、その本当の理由が気にかかる。


 サッカーの伊東純也選手にまつわる新潮の続報は掲載されなかった。『現代ビジネス』のウェブ記事をはじめとするネット情報によれば、伊東選手による性加害を大阪府警や新潮編集部に訴えた女性2人は「対伊藤氏」のアクションを起こす前段に、大阪で2人を伊東選手に引き合わせた「Ⅹ氏」というビジネス・マネジメントの人物との間でも「問題の一夜」をめぐって対峙する関係になっていて、この件の人間関係は複雑に入り組んでいることがわかってきた。新潮編集部はその辺りの事情をどこまで把握したうえで報道に踏み切ったのか。新潮が女性2人への「援護記事」を今週出さなかったことにより、第1報の危うさを懸念する見方も生まれ始めている。


 文春のほうは松本人志氏追及の第6弾で、「11人目の女性証言者」を取り上げるとともに、一連の報道への識者コメントを4ページにまとめた。「文春vs.松本氏」に対する世論の趨勢は「松本氏不利」に傾きつつあるが、一方で氏を擁護する側は、もはや疑惑への具体的反論でなく、「過去さまざまな書き飛ばしを積み重ね、『被害者』を生み続けた週刊誌という害悪」という十把ひとからげの断罪で、松本氏を守ろうとする構えに入っている。コラムニストの能町みね子氏は自身の連載記事「言葉尻とらえ隊」で、その手の決まり文句「売れればいいだけの週刊誌にモラルはない」をタイトルにとり、粗雑な論法に異を唱えたが、編集部としてはこうした「八つ当たり的擁護」も捨て置けないと考えたのだろう、識者の声を集めることにしたと思われる。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。